商売女だけが外国人を騙すわけではない。

一般人の娘であっても必要に迫られたりできると思えば悪気もなく騙す。
外国人の男が騙されるのは女が悪いというよりも、男が騙されるべくして騙されているのだということを忘れてはいけない。
外国人が娘と知り合って、何らかの興味を持つと、まず、男がつきまとう。
娘からつきまとってきても、男の側で興味がなければそれ以上の関係は成立しないから、発展は男に責任がある。

ただ寝る関係を求めているにしても、娘の人格ではなく、肉体に惹かれている(顔が可愛い、オッパイがデカイ、セックスが巧いなど)くせに、(彼女けっこう性格もいいなあ・・・)などと、肉体以外にも自分の惹かれる理由を見つけようとしさえする。

娘の言動に、無償の献身みたいな面を見つけると、金銭絡みではない→金だけが目当てではない→自分の人格にも触れてくれたと勘違いする。(娘にしてみれば、それが狙いなのだが・・・)

ちょうど大した金もやれないご自分の経済的現実も踏まえて、この娘とつきあえば安く上がるし、ひょっとすると、恋愛に似た経験に発展させることも可能かもしれないと皮算用する。

騙しの第一段階で娘の餌に男がすでに引っかかっているのである。

釣りではないが、引き上げられる前に餌だけ食って逃げればよいものの、大抵の男は引き上げられることを自ら望む。

男は、“陸に上がった河童”になる。

第二段階に突入してしまっていることに気がつかず、娘の二号、三号になるべく、自ら娘の守備範囲に入り込んでいってしまう。

こうなると、男は網にかかった魚同然、容易には逃げられない。

この頃にはすでに男は娘に相当入れ込んでいることだろうから。
娘の最終兵器は肉体ではなく、男の心に巣食った“娘への特別な感情”なのである。

こうなると肉体を第二の武器にして、娘は切り札を保持したまま戦いを進められる有利な立場に身を置く。
娘が、『抱かせないわよ!』という態度に出たら、男は娘の要求をある程度呑まざるを得なくなるから、男は白旗を振って降参することになる。

「女なんていくらでもいる。そんなハメに陥ったら捨てるだけ」と割り切れる御仁は別として、未練たっぷりに涎を垂らしてつきまとう犬のような男が必ずいるのだ。

そういう御仁は他の女を抱いても決して満足はしない。
却って意地悪い女への郷愁を募らせる結果になることもある。

こうなると正に病気に近い。
完治するまで、男は女遍歴を重ねるべく忘却の旅に出ることになるのだ。

これが、タイへ何度も足を運ぶようになる真の理由なのではないか。

「オレはタイの女なんかに騙されたことはない。オレはもう初心者じゃない。タイの商売女のあしらいはよ~く心得ている」と豪語する御仁もいるが、単に未だに無知であることを自覚できない故か、小金で満足するような三流の商売女しか知らない故か、本当はあまり量も質も知らず並の客である故か、そんなところだ。

カス女を何百人知っていても、タイの商売女に精通しているとは言い難い。

『外道』の投稿で最も多く見かけるのが、「オレはこんなに安く、他の男が羨ましがるような娘に当たってイイ思いができた」という趣旨の投稿だろう。

その裏には「オレは事情通だからボラれないで安くあげられた」という密やかな自負と、「オレの目利きの確かさ」を自慢したがる心が同時に読み取れる。

また、「その娘のしつこいこと、しつこいこと・・・」というような自慢話(セックスの能力だろうか、男としての魅力だと言いたいのか?)をちらつかせる御仁もいるし、外道になりきれない“ふがいなさ”を嘆く御仁までいる。こういう御仁たちにひっくるめて言いたいことは、『どんな男であっても、所詮お客の一人に過ぎないのだよ』ということである。

タイの商売女にモテたと考えている御仁、タイの女にモテて自慢にはなりえないことを知ろう。
彼女たちの選択眼は大したレベルではない。無趣味なのだから。

また、冷たくあしらえなくて僻んでいる御仁、女に親切にしてやったのだ、僻む必要はあるまい。

倹約を自負している主婦が、自分の旦那の金遣いに難癖をつけても、ご自分のだらしなさから無駄遣いをしても、あまりご自分を責めないのと同じようなナンセンスを感じる投稿もあれば、賢い知恵というよりも、みみっちい吝嗇を公言しているような投稿もある。

こういう御仁に限って大金で女を自由にしている男を軽蔑する。「奴は金でモテているだけだ」と考える。

古今東西、歴史の示すところ、経済力のある男に女が惹かれるのには歴然とした理由が存在するということを否定できる男がいるだろうか。

いかに安くエロい体験ができたかと殊更に強調する投稿者は、「オレは大金を使わないで女にモテる!」とでも言いたいのだろうか。

危ない、危ない、タイ娘を相手にこう考えている御仁は、カモ男の候補の筆頭グループに入ることを自覚すべきである。

なぜなら、それこそタイ娘の狙いなのだから。「あたしが気に入っているのはあなたでお金じゃない」と思い込ませたいからだ。
いくら金がないと言っても平均的な日本人ならば、平均的なタイ人よりも経済力がある。

一人当たりGNIで考えれば、日本人はタイ人の5~6倍の金がある。(経済格差が激しく、物価が安いので、金に余裕のあるタイ人は平均的日本人よりも自由になる金が遥かに多いのが本当のところではあるが)

いくら安い女とつきあっても、あなたは依然として“金の成る木”であることには変わらない。

一般タイ人の半ば常識にすらなっていることで、外国人とつきあっていることが一種のステータスになっているという事実も知ろう。

ある種の商売女は、外国人を手玉にとっている娘を羨ましがる傾向が強い。

三流国家の常で、舶来品がもてはやされるお国柄である。
男も舶来品を珍重する。

相手にしているのが外国人というだけで、自分は特別な才能や地位がある人間だと勘違いしている商売女も多い。
国産品(自国の男)では並なのである。

ひと月にまとまった金をくれるパトロンに近い男でなくても、外国人の男を知っているというだけで、自分の商売女としての素質を誇れるような気分になるらしい。

東大出身の夫がいる日本人の主婦が、『あたしの主人は東大出でございますのよ(あたしはあんたと格が違うのよ)』と自慢するのに相通ずるものがある。

この手の自慢はどんな商売女にもあって、タニヤや日本人相手の店で働いている娘は、自分たちこそタイの商売女の中で最も格上だと口を揃え、ファラン相手の店で働いている娘は、自分たちこそタイの商売女の王道だと勘違いし、クラブで働いている娘は、自分たちこそ最も値が張る娘だと主張し、カフェーの歌手(ナクローン)は自分たちこそ最も裕福な客層を抱えていると信じ、グラビアモデルは自分が最も男たちにチヤホヤされる美しい女だと信じて疑わず、MPのサイライは、自分たちこそ最も金を稼いでいると主張し、外国人の夫がいるタイ女は、自分たちこそ最も人生に成功した女だと吹聴する。

どうせみんな同じようなものだ。
商売女なのだから、過去に、そして影で、ロクなことはしていない。

この国の女達に、先進国の女と同じようなものを求めても所詮ムリである。

自分たちの言動が常軌を逸しているという事実を、永久に知らないまま過ごせる国にいるのだ。それは、タイ社会の根本的な問題でもある。


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