去年の洪水の時、バンコクで一番早く水が入ったのは、バンコク最北端サイマイ区だった。
一番遅く、水が引いたところでもある。

つまり一番ひどい目にあった。

それまで、サイマイなんて聞いたことがなかった。
なにより、バンコクは50区もあると知ったのも、その時が初めてだった。

洪水のおかげで、地理の勉強になった。

地図を見て、サイマイ区を探すと、おぼろげに記憶があった。
ドンムアン空港の裏だ。

ああ、あのあたりか・・・ゴミッとしたところだ。
渋滞しか記憶にない。
・・・あそこ都内だったの?
そんなところだった。
浸水を伝えるニュースで、水以上にオレが気になったのは、サイマイはバンコクで唯一、赤(タクシン派)の強力な支持基盤であると言うことだった。

タイにおける保守と革新の支持基盤は日本の間逆。
つまり保守派=バンコクなど都市部、革新(タクシン派)=農村部で、どう保守と革新なのかは日本の自民・民主同様あやふやなモノだ。

金持ち・貧乏と分けた方がわかりやすい。

どんな奴でも、バンコク人は田舎者よりはマシというこの国の現実を反映している分、対立の構図はわかりやすい。

バンコク赤人であるサイマイ人は、現在赤が天下を取るタイの国政を笠に着て暴れ放題。
堤防や水門壊したりして、修理に来た役人に殴りかかり、かないそうもない軍隊が出動すると、パチンコで手榴弾投げたりする暴れん坊貧民だった。

オレはとても興味を引かれた。

赤と言えば貧乏。貧乏といえば淫売。
淫売といえば、そうわたくし外道紘。

すっかり水の引いた一月のある日、限りない貧乏と淫売を求めてサイマイに行ってきた。

インバイいねがなー?

ただサイマイに行くのではなく、なるべく饐えた貧乏の薫り高い地域を探す。
川っぷち線路端は貧乏の巣だ。

パホンヨティン57/1・・・ここが臭いとオレは睨んだ。
空軍の基地と公団団地に挟まれた川っぷち。

絶好の貧民窟立地条件だ。

バンコクは狭いが渋滞がひどい。
目的が目的なだけに、やる気が湧かないのにひどい渋滞であった。

1時間近くかかってパホンヨティン57/1にたどり着いた。

こ、、、ここは・・・。

予想以上のすさみ加減。
自らの勘の良さが恨めしい。

歩道もなく、道ばたに砂の舞う、今時考えられない土間ネスク廃材様式の平屋建築群が連なり、運河沿いには、人が住めるのかどうか、自信がなくなる水辺の蛋民住宅がつらなる。

何より、最近バンコクでは目にしなくなった、人と動物の共生が見られる。
ヤードバーズさんなどは当たり前、アヒルさん、ガチョウさん、黒豚さんまでもがそこら中をうろつきまわり、ムスリムのような出生率を証明する、ガキどもの群が動物と戯れる。

不思議なことに野良犬は見あたらない。
全部食ってしまったのだろうか?

えーーー言って良いのでしょうか?
正直に告白します。
タイとは思えませんでした。

インドネシアの、それもジャワ島ではなく、スマトラとかスラウェシの都市部にイメージが重なる。
ガキだけではなく、住んでいる住人も、バンコク人とは思えない黒さで、どことなく殺気立っている。

冗談でも『赤ですか?』とか質問できる雰囲気ではない。
オレは数枚の写真を撮っただけで、リンチに合う前に赤貧民窟をあとにした。

川っぷちを過ぎるとそこは新興住宅街。
都心で住宅を買うことが不可能になった、ニューリッチたちのお住まいが続く。

なぜか、こうした貧民窟の隣は高級住宅街だったりする。
隣接して小綺麗なショッピングセンターがあり、そこにあったマックでこれを書いている。

ここはここでタイではなかった。

日本の郊外、そう、イオンなんかがあるショッピングセンターのような、人工的な清潔さと余所余所しさ。
その時、この人工的な清潔感と比べて、先ほどの赤貧民窟の方に親近感を感じてしまっている自分を見つけたのだった。

オレのいるアパートの大家は遠からずくたばり、そうなれば利に聡い息子たちは、あんな古い都心のアパート経営なんかやらずに、ビルに立て替えるだろう。

オレの居場所はなくなる。

その後、同じような条件の物件はないので、そうなったら、これぐらいバンコクの僻地に引っ越しても良い。
オレの仕事は、電話線さえ来ていればどこでも良いのだから。

サイマイに引っ越そう。
そこにはバンコクの昭和があった。

外道風土記、2012年3月6日


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