年寄りばっかで、やる気のない村の意味を理解するまで、20年かかった。

日本から来る人や、タイに住んでいて日本に一時帰国した人に会うと、社交辞令的に聞いてしまう。

『日本はどうだった?』
ここ十年ほどだろうか、その答えはほとんど同じだ。

『イヤー死んでますよ』
『終わってる』
そんなネガティブな答えが大多数だ。

最近では、具体例を挙げて、死に具合を解説してくれる。
『家族連れで、吉野屋に来てるんですよ。信じられますか?』

『餃子の王将でデートしているのを見て、日本に未来はないと確信した』
まあ、ようは不況で元気がない、皆貧乏になってセコイ、と言いたのだろう。

特に普段タイに住んでいて、日本に帰国した人達は、どうしても、タイの現在と比較してしまうので、活気のない老いた祖国を嘆きたくなるようだ。

今、自分は普通だと思っている人は、20年前には100円ショップや、ユニクロには死んでも行かないと言い張る人達だった。

独自の価値観なんか無く、ただ空虚な『普通』があるのみだ。

実際、オレ自身もたまに帰国すると、その活気のなさに衝撃を受ける。

なんだこれは・・・・街に色がない。
そして、露店が無いから街がスカスカ。

それは、東京の繁華街といわれる新宿・渋谷でも同じで、街が地味な単色だ。

道行く人は多いが、その多くが年寄りや、国民服のように地味な背広や、コートのリーマンなどで占拠されている。

オレはどの女子校生が売ってるのか、キョロキョロしていたのだが、ガンマンコオユカが、『みっともないからよせ』と邪魔をして、ウザくてしかたない。

まあいい、オユカなんか、インド人に睨まれて泣いてしまえ。

もう20年も前、オレとシチジョウ君は、鰯の缶詰をサカナにビールを飲んでいた。
オレが鮭缶を買おうとしたら、シチジョウ君が、『贅沢すんじゃねえ』といって鰯になった。

その頃から貧乏だった。

TVでは日本の原風景みたいな、どうでもいい番組が流れていた。
宮崎県椎葉村・・・平家の落人伝説のある村だそうだ。

『おーーこれ、お前の家の方じゃないの?阿蘇山の麓か・・・』

『麓じゃなくて、すっかり山に飲み込まれたような土地だ』
シチジョウ君はつまらなそうに地元の解説をする。

『平家の落人伝説だって、なんか格好いいじゃん』

『年寄りばっかでやる気のない村だ』
いちいち否定的な意見だ。

『綺麗なところだな』

『まるで八つ墓村だ』

気になったのは、『やる気のない村』という表現だった。
オレは自分の地元にやる気があるか無いかを考えたことが無く、この表現自体理解不能だった。

それから20年以上の時が流れ、この表現が理解できるようになってきた。

年老いて臆病になり、なにも決断が下せず優柔不断、それでいて理由もなく、不確定な未来におびえる。
それは、今現在の日本の姿だった。

そう言うことだったのか・・・。
これは格好悪い・・・格好なんてどうでもいいが情けない。

たった20年ほどで、ここまでネガティブに変わるとは思いもしなかった。

日本全土が椎葉村とかした今日、シチジョウ君は、自身が八つ墓村だと揶揄した椎葉村で、代用教員(産休先生)をしているそうだ。

奴もさぞへこたれているだろう。


煩悩の夕暮れ、2011年12月2日号

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