例えれば、昨年の夏である、アツい熱い暑いのである。

高温な上に、湿度が惨い、ベチョベチョのグチョグチョ街中に、漂う淫臭混じりの、加齢臭不快指数がなんてもんじゃない、何故かエンゲル係数まで、ウナギのぼりの、コイのぼり、「キチガイのボボにハチが刺した」とかのおお騒ぎ。

もォ-、もォ-、どうしょうも無い、そんな時に叫ぶインドの八月ジャ~~なんである。

次にインドのタニシ意味からゆうと、ケチな奴そうキィニャオである。

軟らかいウンコどころか、握ったへですら放したくない奴のことを指す。
<インドの八月>も<インドのタニシ>も失礼な言い回しである。

インドに対して失礼だ。

このような言い回しの通る地域に原住する人々<放送禁止用語のみで構成される言語お話す少数民族>になり替わり、謝罪したい位だ。
これはタイで聞いた話だ。

夜道歩いていると分岐に指しかかった、一方には恐ろしい毒蛇、方や道に立ちはだかるインド人、さあ、あなたならどちらの道へ進むのか、タイ版究極の選択である。

カ-レ-VSウンコの選択と、一緒の扱いである。
そして、タイ人は毒蛇の道お選択する。

そんな、インド人と私、一緒に手錠で繋がれ、鉄柵に囲われたピックアップの荷台に乗せられ、バンコクの街中をドライブしたことがある。

行き先は裁判所経由<ナカ>行きだった。

そのインド人とは、禁固の刑期中も、刑期が終わり入管へ護送された時も、一緒で、入管で彼はインド人房、私は黄色のアジア人房に別れたが、運動時間に出るバスケットコ-トで会い、その始めから出国前まで、なぜか私の世話ォ焼いた。

実際ほんとに助かった。

大使館の職員が何度か訪れ、そのたびに鉄格子越しに写真取りされたり、なんだかんだの書類にサイン取りされたりで、50日位も蒸され、「帰国のための渡航書」なるものとチケットに、空港から家までの電車賃ォバ-ツで受け取り17.MAR.2006.帰国した。

それから、5年傷のカサブタがはがれ跡が痒くなり、フラシュバックとも、ギリギリの線で折り合いが付いた。

在タイ終盤の2年近く、河向うのバンコクで暮した<インドの八月>的日常生活<インドのタニシ>的タイ人に取り巻かれた日々。

脳内のシワ奥に叩き込み過ぎた快楽、気持よく使った他人の金、気持よかった他人の女、入管の脱北朝鮮人ナカのヘミングウェイに似た変態イギリス人、そんなこんな的なことを吐きたくなってきた。

初めてのキ-ボ-ド叩いての文作なので、管理人サンはじめ、みなサンに迷惑かけますが、私も少しツレズレてみたくなりました。11.Feb.2011.Neo99


徒然外道2011年5月26日

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