5月のある日、オレはついに日本に帰国することに決めた。

理由はっきりとしていた。
情けないことにオレは30過ぎにして、ビタミン剤にはまってしまい、単なるポン中になってしまったのだ。

昨年暮れのノックとのビタミン剤ファック以来、オレとノックはすっかりその虜になってしまっていた・・・。

この様な行為が良い結果を生むわけはなく、オレは仕事をサボりがちになり、友人は離れていき、社長Mにいたっては、「ケッ!ポン打ちなんぞになりやがって、とっととくたばれ」と罵ってオレを避ける・・・。

ノックは、パトロンに対してのファック拒否という、致命的なミスを犯してハゲに逃げられ、再びタニヤへと舞い戻っていった。

だが、二人とも悪運は強いようで、オレは仕事を首にならず、何時もなにか上の空で疲れたような表情を見せるオレに、上司や同僚は心配してくれ、「どうした?少し日本で休んできたらどうだ?ちょうど研修があるから2~3ヶ月だけど行ってみるか?」と、言ってくれるのだった。

ノックもすぐに新しいハゲを生け捕りにし、また店に出ずに済む身分となった。

新たにつかまえたハゲは某邦銀勤務。

日本国内をその賛否を巡って沸かせた、金融機関への公的資金導入は、巡り巡ってバンコクに暮らすイカレ達をも救済していた。
俺達は声を合わせて、「人生って甘いなー日本の皆さんありがとう!」などと、罰当たりなことを言い交わしながら、ビタミン剤ファックに熱中していた。

時折、こうしたイカレ生活に嫌気がさし、ビタミン剤と縁を切ろうと決意するのだが、足並みがそろわない・・・。

ある時はオレが「もう止める」と宣言し、一週間ほどは大人しくしているのだが、すぐ横でノックが銀紙を炙っているのを見るとつい、「オレにも一口やらせろ!」ということになり、元の木阿弥。

また、ある時はしばらくノックがオレの部屋に来ないので、どうもヤツも、このままではイケナイ!と思い、控えていたようなのだが、オレの部屋に来ると、オレは相変わらずビタミン剤でヘロヘロ・・・。

その、様子を見てノックは、「ウー!私の彼が悪い人になってしまった。私って本当に男運のない女・・・」と、水商売の女性にありがちな、自己憐憫ナルシシズムに浸って泣き崩れ、それでも結局、「私にも一口やらせて」と言い、元の木阿弥・・・。

オレ達は全くお互いを補完し合うことなく、かえって坂を転げ落ちるかのようにお互いを助長し合う、最悪のイカレ外道コンビとなり、破滅に向かって爆進していた。

そんなある日、オレは自発的にこのイカレ生活を抜け出すため、日本帰国を決めた。
それは、ある小さな出来事がきっかけだった。

ビタミン剤の副作用の一つとして幻聴がある。

人によっては、「お前を殺してやる」とか、「警察が追っている」とか、「電話が盗聴されている」とか、聞こえるのだ。

これが、人をバットと言う一種の恐慌状態に追い込むのだ。

勿論、全ての人がそうなるわけではないが、ビタミン剤にはその人の持っている本質的な恐怖心や、不安などを、幻聴や幻覚によって現実化してしまう効果があるようだ。

友人のハングルMにいたっては、警察無線が聞こえ、それは何故かタイの警察なのに、日本語で「ヤツを追え!市内全域に網を張れ!」と、聞こえたそうだ。

数日前から、オレにも幻聴が始まった。
危険信号と受け取らなければならないのだが、オレの幻聴は何かふざけていて、真剣味に欠ける物だった・・・。

頭の奥底から、耳鳴のように響いてくるのは、ノックのあえぎ声だったのだ!

「オーイ、死んじゃうよー、オマンコ気持ちいいー」とか、「アウーイ、もっとしてー、いっちゃうよー」などと言う、少し変な発音の日本語だった。

その日、いつものように仕事場へ向かうため、ボロバイクを運転していると、突然前のソイ(小道)から、一台の馬鹿派手なBMWが飛び出してきた。

急ブレーキを踏んで、何とか事故には至らなかった。

運転マナーなど皆無に等しく、優先順位は車体価格によって決まっているようなこの街では珍しいことではない。

普段であれば気にせず運転を続けるところだか、ビタミン剤で切れやすくなっていたオレは烈火の如く怒り、遙か前方で信号待ちのために停車しているそのBMの前に回り込んで、後輪をロックさせて停めてメットを脱いで地面に叩きつけ、馬鹿派手BM野郎を睨み付け、「降りてこんかい!」と変な関西訛りで怒鳴っていた。

最新型、スポーツタイプBMWの前に回り込んで進路をふさぎ、訳の分からない言葉で怒鳴り散らす国籍不明のボロバイクに乗ったオヤジという、この国ではあってはならない非現実的な情景に、対処法を見失ったらしたらしい大デブ中華系のBMオヤジは、驚愕した表情を見せた。

その時だ!オレの耳に「マンコ気持ちいいー」と言う、ノックの喘ぎ声が聞こえてきたのは・・・。
 
恐らくオレの顔はニヤけていたのだろう・・・。

BMオヤジは、さらに恐怖の表情を浮かべて、信号を無視しオレのバイクを避け、強引にユーターンしてオレの視界から消え去った。

オレは心の中で力無く呟いていた。

「もうダメだ・・・日本に帰ろう」、オレは自分自身に廃人宣告を下した。

毎朝、通勤電車に揺られて定時に出勤し、少しだけ残業して、帰宅し、テレビを見て寝るだけという規則正しい日本の生活は、日本にしか住んだことのない人にとっては当たり前のことだが、一度楽をしてしまったオレにとっては、強制収容所の中で更正の道を歩むようなものだ。

我が祖国である収容所列島日本で、ラーゲリ生活をし心身共に更正しよう・・・そう心の中で呟いた。

オレはバイクのハンドルを切って、今来た道を引き返し、部屋へと帰った。

仕事場に電話し、体調が悪いので、しばらく、休むと伝えると共に、以前より奨められていた日本での研修に参加したい旨、上役のハゲオヤジに伝えた。

ハゲは全てを見透かしたかのように、優しくそれに賛成してくれた。

と言うわけで、俺の帰国にともない、このサイトも一時お休みになります。

さようなうら皆さん。
さようならバンコク。
さようならビタミン剤。

追記:何かを諦めると人はヤケになるようで、日本帰国を決めた日から、帰国当日まで、オレは体調不良を理由に仕事を休み続け、大量のビタミン剤を仕入れて、廃人三昧の日々を送った。

帰国のフライト中も最後の三錠を飲んでしまい、成田の入国審査を通る時は、思いっきり瞳孔の開いたバキバキのポン中患者となっていた。

入国審査の係官は、当然その道のプロなので、オレの顔を見ればすぐに、"あっ、ポン中だ!"と、わかるはずなのだが、キマリ過ぎで馬鹿になっているオレはそんなことは気にせず、この木っ端役人の慇懃無礼な質問、「もちろん、大麻や麻薬のような物はお持ちではないですよね?」にも、血走った目をギラつかせて、「もちろん、持ってませんよ!私がそんな人間に見えますか?」と、逆に食ってかかっていた。

今考えるとその時のオレは、”そんな人間”以外の何者にも見えなかったと思うのだが、このお役人様は人間の良くできた、心根の優しい方だったようで、とっさにこんな馬鹿ポン中相手にしても仕方ないと判断したのか、あっさりと、「行ってよし」と言ってくれた。

オレにはその事務的で乾燥した声が、「逝ってよし」と言っているように聞こえ、これから続く、北の国の厳しさを覚悟させたのだった。



外道日記、2002年2月6日

読んだらクリックしてね!!!⇒にほんブログ村 大人の生活ブログ タイナイトライフ情報(ノンアダルト)へ
こちらもしくよろろ〜!!!!!!⇒