需要と供給は、常に必要に応じて自然にバランスが取れ、安定する。

タイでの贈収賄の習慣は、悪い面ばかりがクローズアップされるが、実のところとっても便利な習慣だ。

この習慣のおかげで、一番の恩恵を受けているのは、悪者にされがちなお役人様ではなく、実のところ贈賄方ではないかと思う。
例を挙げてみよう、日本で交通違反をすると面倒な書類を書かされて、大層な罰金まで取られる。

場合によっては免停・免取りとなり、そのダメージは計り知れない。

タイでは、その場で

「駄目じゃないか右折禁止だよ」

「アーうっかりしてたな。旦那ー勘弁してくださいよ」

「免許見せて」

「えーっと、家に忘れてきちゃった」

「じゃあ、それもキップ切るから署まで来て」

「旦那ー、急ぎの仕事があるんですよ。これが駄目だとウチの会社はもう駄目だ。従業員をどう食わせていけば良いんですかー。これで勘弁してくださいよ(反則キップの束の裏にそっと500Bを入れる)」

「(金には気づかぬ振りをしながら)しょうがないなー。まあ事情もあるみたいだし、今日の所は勘弁しておこう。以後気をつけて運転するように」

「はい、お勤めご苦労様です」

賄賂の額は、その時の状況によって違うが、相場は正規の罰金の半額だ(若いことか貧乏人は10分の1ぐらいにまかる。学割みたいだ)。

つまり罰金が半額に済ん だ上、点数は減らず、時間も無駄にしなくて良い。

お役人様は権力はあっても、公務員だから給料少ない上、すっかり関心の無くなった女房は小遣いくれないので 、こうした小遣い稼ぎは必要悪。

お互い持ちつ持たれつの関係だ。

ただし、こうしたことは中庸の精神が発達していることが必要条件だ。
お互い程度をわきまえなければならない。

タイで賄賂が発覚するのは、大抵、このバランスを、どちらかが踏み越えてしまった場合に限られる。

人々はこうした習慣があるのを知っていても、あえて騒ぎ立てたりしない。

これもまたバランスなのだ。
タイ人は大人である。

なにかあるとすぐに魔女狩りが起こってしまう日本は、長い歴史を持つ民族国家としては民度が足りないともいえる。

煩悩の夕暮れ、2004年10月26日号


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