オレは早くから国を出てしまい、すでにそう短くも無い人生の約半分を外国で暮らしている。

それだけではないがオレは簡単に現地に同化してしまう。
日本の色がとれないほど染まる前に国を出たともいえるし、オレ自身の特性かもしれない。

それはオレが異邦人らしくしていない(ワザとではない。地だ)からかもしれない。
外から来た人間は程度の差こそあれ、一人で行動している時は自信なさげにキョロキョロまたはオドオドしている。

日本人は特に特徴的で他のアジア人との見分けが簡単だ。
また、決まりきったような旅行者ルックなのも識別しやすい。

ダラけた格好しているせいもあるが、オレが現地にとけ込みやすいのは、ひとつにあんまりオドオドしていないせいもある。

当たり前だがオレは金が無いので半年以上滞在した国の多くで働いていた(日系企業とかではない)。
現地人と同じリズムで生活すると自然と同化する。

一方、何年住んでも全然同化しない人もいる。
どちらかといえば日本人はそのほうが多い。

頑なに、あるいは仕方なく、それとも自然体で日本を離れられない人だ。

本人にとってどうか知らないけど、なんだか焼印を押された家畜みたいで憐れでもある。

もっとも家畜ならそのことを不幸に思わず、かえって安堵する。
人も家畜もそう変わらない。

オレは東洋人だが、ロンドンにいたときはピカデリーのそばで働いていたのでソーホー(中華街)の中国人だと思われていた。

(丁度、天安門の後だったので店に来る客から、よく難民申請を勧められた)

移民国家であるオーストラリアでも同様。決して留学生とか旅行者だと思われなかった。
実際そのどちらでもなかったが。

ビックリしたのはアフリカにいたときタンザン鉄道建設に狩り出された中国人(良くあることだがそのまま住み着いている)だと間違われたことだ。

ブラックアフリカに東洋人は極めて少ない。
アジア人といえばまずインド人だ。

オレ自身が現地人(住民)と見られていることに気づくのはよく道を聞かれるからだ。

『~へはどう行きますか?』

旅行者や外国人からではない。現地人に聞かれる。

すべて英語だ。

東アフリカの公用語は宗主国イギリスの言語である英語だからだ。

イギリスやオーストラリアも当然同じ英語。

長く会話すると語彙の少なさや発音からオレがネイティブ(現地人)でない事がばれてしまう。
別にばれてもいいけど。

タイでは純粋にタイ人、中華系が多いかな、に間違われて道を聞かれる。

簡単に説明がつく場所だと相手も気づかないが、説明が長くなるとオレがタイ人で無いことがばれてしまう。
別にばれてもいいけど。

すべての場合で言えることだが皆一応に驚く。

だって外国人に地元の道を尋ねてしまったんだから。



オレは海岸にいた。

最近はどんな辺鄙で鄙びたビーチにも外人観光客や引退老人がいる。

引退後は海に面したビーチハウスで余生を静かにすごす、みたいなのが白人を中心とする欧米人の理想というか、典型と言うか、まあ、わかりやすいモデルなのだろう。
ヨーロッパはもともと太陽の少ない土地だ。

オレは超鄙びた辺鄙なビーチにいたので、いなくは無いが外国人の数は少なく、タイ人にいたっては皆無、ジュース売りしかいない。

タイ人にとって太陽と砂浜は無価値だ。

オレはわけわかんないバービヤなんか無いビーチが好きだ。

パタヤはビーチハウスではなく、ビッチフルハウスでバンコクより心が荒む。

ホテルから1キロほど離れたところに無人ビーチというか海岸線にホテルが一軒も無いビーチがあった。

当然ながらイーグルスとかの妙なお仕着せリゾート音楽もなく、聞こえるのは波がしょぼく打ち寄せる音のみ。

ハンモックも大麻も売りに来ない。

ジュース屋からビーチチェアを借り、のんびり本を読んだり、このしょうもない文章をい書いたりした。

他にもっと綺麗で大きなビーチがホテルの前にあるのに、こんなところまで来ているのは、よほどの変わり者か、オレのように静かに過ごしたい奴だ。

人嫌いな奴にもいいようで、一人で来ている奴が多い。オレも少しそうだ。

オレは去年から読もうと思って買っていた村上春樹の『海辺のカフカ』を読んでいた。村上春樹はあまり好きな作家ではない。

都会的で洗練された文章作家だそうだが、オレにとってはそれは重要でなく、面白いかどうかが問題だ。

読書はファッションではない。
普段本を読まない人にはファッションのようだ。

その本、その作家が自分に似合うかどうか気にしている奴がいて、オレはそのこと自体に驚いた。

『似合うも似合わないもお前みたいなオヤジもう誰もみてない』といったら怒っていた。
実に言い得て妙な表現だと思うのだが、真実を語るものは往々にして弾圧される。

どうも彼にとって本、読書はファッションアイテムのようだ。

話がそれた。オヤジなんてどうでもいい。

『海辺のカフカ』を読んでいたとき、ふと聞き慣れない言葉で話しかけられた。

『*+>_*<>*+?』

語尾が上がったのでなにか質問だと思った?

『Excuse?』

オレは英語で聞き返した。
その後の会話は英語になった。

彼はカザフスタン人で、オレのこともカザフ人だと思ったそうだ。

カザフ人に会ったのは初めてだ。
同時にカザフ人に見間違えられたのも初めてだった。

彼は東洋系ではあるが幾分バタ臭い血が混じった独特な顔をしている。
中国北西部やウイグルにもいえることだが、おしなべて背が高く少しバタ臭い。

日本人がイメージするジャッキーチェンのような中国人は、中国の一部分でしかない。中国は広いのだ。

カザフ人もそんな不思議な顔立ちの人だった。

オレは体型外見とも、もろ縄文人なので、いったいどこがカザフ人に見えたのか不思議だが、これもオレに色が無い、またはドロドロに色の重ね塗りをしてしまっていて、見ようによっては何人にも見えるのかもしれない。

ソ連崩壊後にドバドバ出来た民族国家カザフスタンは油でも出るのか、タイでもかなり物好きしか行かないビーチリゾートに一人で来れるようになっていた。

10年前には想像もできなかったことだが、タイに増えたのは中国人観光客だけではなく、ロシアやその周辺諸国からの観光客も沢山来るようになった。

この世にあるものすべては変化し、その予測は困難であり、また多く変化を押し止めようとする努力は徒労に終わる。

カザフ人と少し立ち話した。

『カザフには馬がいるか?』

『沢山いる。もともと遊牧民だ。ところでオレは昨日スシ食った。』

ビーチのそばに、いかにもビーチボーイに孕まされて進退窮まり、親に泣きついて店出しました、みたいなラスタ帽の日本女がレストランやっていた。

寿司は一口サイズのおにぎりだった。
オレはガックリきたが、このカザフ人もそれを食ったようだ。

『あれは・・・スシではない』

オレは遠くを見ながら言った。
そんな気分にさせるスシだった。

『オリジナルではないという事か?』

彼も水平線のかなたを見る。
そんな気分だったのだろう。

『ウン、そうとも言える。ところで日本人は馬も食う』

オレは聞かれてもいない余計なことを言ってしまう。
馬と寿司の話をしていて急に馬刺しが食いたくなったからだ。

『スシでかっ!?』カザフ人は驚愕して聞き返した。

『スシというか、サシミというか・・・まあとにかく生で食う』

オレは長い間食っていない馬刺しを思い浮かべ、遠くを見た。
そんな気分だった。

その瞬間、カザフ人の顔に恐怖が張り付いた。

きっと彼の脳裏には日本人が口の回りを血みどろになりながら馬にかじりついている光景が浮かんだのだろう。
彼は度し難い野蛮人を見る目つきで後ずさり、オレから遠ざかって行った。

カザフ人とはお友達になれなかった。

仕方なくオレな足下に置いた読みかけの本を手に取った。

『海辺のカザフ』

いきなり口をついたのは駄洒落だった・・・不覚。

PS;意外なことに海辺のカフカは面白かった。


徒然外道、2009年4月7日

外道の細道、2009年4月4日


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