タイで正妻はミアルアンという。いわゆる妾というのはミアノイ(他にミアケップという語もある)という。
厳密な定義はないらしいが、本来、ミアノイは正妻も承知の上での愛人、ミアケップは正妻も知らない愛人ということになるらしい。
厳密な定義はないらしいが、本来、ミアノイは正妻も承知の上での愛人、ミアケップは正妻も知らない愛人ということになるらしい。
通常はミアノイと呼ぶことが多い。
日本でいう愛人、又は二号に当たる。
日本で不倫というと道義的にケシカランということになっているから、他人には大っぴらに言えない関係で、同棲するなんてもっての外、密会の情事というようなイメージがつきまとうが、タイでは収入に関わらず、正妻以外に女がいる男が実に多い。
配偶者に限らず恋人が複数いるのも普通で、フェーンやギックが何人もいるというのが、社会的に推進されているのではないかというくらい、ごく当たり前のことである。
二号にになる娘は何も商売女とは限らず、(男に限らず)女も、実に様々の複数の恋人がいて、いったいタイ人に節操を求めること自体おかしいと思えるほどである。
が、日本人のように、不倫の相手と一緒になれないのを苦にして悩んだり、良心の呵責に苦しんだり、思いつめたりするという話は、ここタイではあまり耳にしない。
みんな実にあっけらかんとしていて、親戚や兄弟などと知り合ったり、恋人の家族の面倒まで見たりしている。
経済的援助を受ける娘の方も、週何日か会いにくるだけの恋人でもきちんと世話したりして、日本人の慣習にはちと馴染めないような関係に半ば呆れ感心することさえある。
勿論タイも一夫一婦制であるし、法律的には正妻は一人なのだが、これも大昔からの慣習で、男が複数の女の世話するということは、タイ人の倫理にはさして反していないようである。
タイの娘もそれはよく承知しており、男が所帯持ちだとしても、(愛してはいけない相手!)などと真剣に悩むことはあまりないようだ。
嫉妬はあっても、精神的、経済的に受け入れることができて、納得できる環境であれば、日本人のように(別れなくてはいけない)などと思いつめることもあまりないようである。
よく、ミアルアンが自分の夫やそのミアノイを殺害したなどという事件が三面記事で伝わってくるが、逮捕されないよう用意周到に計画して実行する知的犯のようなことにほとんどならず、突発的感情的にやる。短絡的なタイ人の性格がよく現れている犯罪のひとつである。
この類の事件は、どちらかというと、夫人が世間知らず(?)のような気さえしてくるから妙である。
自分の夫が浮気者で別の女がいるという事実を認めることができず、特に愛人が商売女である場合は、その商売女があたしの夫を誘惑した、悪い女だと考える傾向がある。自分の夫は妻のあたし以外を愛するはずがないと。
商売女で愛人になる娘はほとんどが経済的必要性からであって、愛情は二の次、この男だったら使えるかなと契約愛人のような関係を築く。
食わしてくれる男を見つけるのは、タイ女の生涯を賭けた仕事とさえ言えるかもしれない。
日本のようにきちんと婚姻関係を結んでなどと考える男女はあまりいないから、どうであっても、食わしてくれる男と出会えれば、当の本人はサバーイなのである。
商売女の人生は浮き沈みが激しく不安定なのが常で、20代後半になってくるとそろそろ仕事もしたくなくなってきて、男にチヤホヤされなくなり、ちょっかい出されることも減り、惚れてくれた男の二号でも妥協せざるを得ない状況に追い込まれる。
それを過ぎて適当な相手が見つからないと、30歳を過ぎても、未だにMPの雛壇に毎日座っていたり、白人相手のバーなどに勤めるか、日本人カラオケクラブで「24歳よ」とサバを読んで働くか、場末の淫売屋に身を落とすか、行く末は知れている。
若い頃、色気で男を騙してどんなに金を稼いでいた娘も、この“老い”には勝てない。
愛人に出資してもらって店などを持っても、放蕩癖のある娘は自滅するし、浮気な娘は若い男などに入れ込んで、これまた自滅する。
浪費癖のある娘はギャンブルやクスリにハマり、金がなくなった頃に愛人に捨てられたりして自滅する。
芸能人やスポーツ選手などと同様、華のある絶頂期を維持することはできない。
第二の人生で成功する商売女は、かなり稀有な商才の持ち主か、愛人の男がよほどの間抜けか懐深いか、ある程度の年齢になっても男を惑わせる稀な美女か、一般の素人には望めない特殊な才能に恵まれているか、希代の悪女か、愛人が桁外れの金持ちか、天才的なウソつきか?・・・
続 MP嬢の裏事情、2009年4月30日
外道の細道、2009年4月17日
日本でいう愛人、又は二号に当たる。
日本で不倫というと道義的にケシカランということになっているから、他人には大っぴらに言えない関係で、同棲するなんてもっての外、密会の情事というようなイメージがつきまとうが、タイでは収入に関わらず、正妻以外に女がいる男が実に多い。
配偶者に限らず恋人が複数いるのも普通で、フェーンやギックが何人もいるというのが、社会的に推進されているのではないかというくらい、ごく当たり前のことである。
二号にになる娘は何も商売女とは限らず、(男に限らず)女も、実に様々の複数の恋人がいて、いったいタイ人に節操を求めること自体おかしいと思えるほどである。
が、日本人のように、不倫の相手と一緒になれないのを苦にして悩んだり、良心の呵責に苦しんだり、思いつめたりするという話は、ここタイではあまり耳にしない。
みんな実にあっけらかんとしていて、親戚や兄弟などと知り合ったり、恋人の家族の面倒まで見たりしている。
経済的援助を受ける娘の方も、週何日か会いにくるだけの恋人でもきちんと世話したりして、日本人の慣習にはちと馴染めないような関係に半ば呆れ感心することさえある。
勿論タイも一夫一婦制であるし、法律的には正妻は一人なのだが、これも大昔からの慣習で、男が複数の女の世話するということは、タイ人の倫理にはさして反していないようである。
タイの娘もそれはよく承知しており、男が所帯持ちだとしても、(愛してはいけない相手!)などと真剣に悩むことはあまりないようだ。
嫉妬はあっても、精神的、経済的に受け入れることができて、納得できる環境であれば、日本人のように(別れなくてはいけない)などと思いつめることもあまりないようである。
よく、ミアルアンが自分の夫やそのミアノイを殺害したなどという事件が三面記事で伝わってくるが、逮捕されないよう用意周到に計画して実行する知的犯のようなことにほとんどならず、突発的感情的にやる。短絡的なタイ人の性格がよく現れている犯罪のひとつである。
この類の事件は、どちらかというと、夫人が世間知らず(?)のような気さえしてくるから妙である。
自分の夫が浮気者で別の女がいるという事実を認めることができず、特に愛人が商売女である場合は、その商売女があたしの夫を誘惑した、悪い女だと考える傾向がある。自分の夫は妻のあたし以外を愛するはずがないと。
商売女で愛人になる娘はほとんどが経済的必要性からであって、愛情は二の次、この男だったら使えるかなと契約愛人のような関係を築く。
食わしてくれる男を見つけるのは、タイ女の生涯を賭けた仕事とさえ言えるかもしれない。
日本のようにきちんと婚姻関係を結んでなどと考える男女はあまりいないから、どうであっても、食わしてくれる男と出会えれば、当の本人はサバーイなのである。
商売女の人生は浮き沈みが激しく不安定なのが常で、20代後半になってくるとそろそろ仕事もしたくなくなってきて、男にチヤホヤされなくなり、ちょっかい出されることも減り、惚れてくれた男の二号でも妥協せざるを得ない状況に追い込まれる。
それを過ぎて適当な相手が見つからないと、30歳を過ぎても、未だにMPの雛壇に毎日座っていたり、白人相手のバーなどに勤めるか、日本人カラオケクラブで「24歳よ」とサバを読んで働くか、場末の淫売屋に身を落とすか、行く末は知れている。
若い頃、色気で男を騙してどんなに金を稼いでいた娘も、この“老い”には勝てない。
愛人に出資してもらって店などを持っても、放蕩癖のある娘は自滅するし、浮気な娘は若い男などに入れ込んで、これまた自滅する。
浪費癖のある娘はギャンブルやクスリにハマり、金がなくなった頃に愛人に捨てられたりして自滅する。
芸能人やスポーツ選手などと同様、華のある絶頂期を維持することはできない。
第二の人生で成功する商売女は、かなり稀有な商才の持ち主か、愛人の男がよほどの間抜けか懐深いか、ある程度の年齢になっても男を惑わせる稀な美女か、一般の素人には望めない特殊な才能に恵まれているか、希代の悪女か、愛人が桁外れの金持ちか、天才的なウソつきか?・・・
続 MP嬢の裏事情、2009年4月30日
外道の細道、2009年4月17日