ある娘と知り合うと、名前、年齢、出身地、現在どのあたりに住んでいるか、携帯の番号などを尋ねることが普通であるが、ちょっと時間があったり何度か相手にしていると、娘の身の上話を聞かされるハメになることもある。
その内容は、現在の話、客の話、過去につきあった男の話、他の娘の悪口、自分が働いたことのある店の話、コンチアから聞いた話、娘同士で噂になっている話など、いろいろ多種多様である。

客から聞いた話というのもあって、信憑性はアテにはならないものの、けっこう話し好きの娘などは、話し出すと1時間くらいすぐに経ってしまうくらいである。
(勿論タイ語がかなり自由にしゃべれるという前提が必要になる)

最もアテにならない話は娘の過去の話だ。

男に捨てられた、フラれた、騙された、こちらがその事実の裏をとれないから、どんなことでも勝手に修飾をつけて話ができる上に、どんなに自分が悪くても、美しい物語に変身させることができる。

大半は、(可哀想でしょう?)と男の同情を買う話になり果てることは必至で、自分がどんなに悪かったかという話には決してならない。

ある程度己の非は認めても、(しょうがなかったのよ・・・・だって・・・・お金が必要だったんだもん)(悪いことしたとは思ったけど彼の方がもっと悪い)(そういうことになってしまったのは、あたしが悪いわけじゃない・・・)というふうになる。

タイ人の気質としては、自分の非を認めるということが極端に難しいらしい。

潔く非を認めることに勇気がいるからと、非を認めたときに責任がとれないからであり、恥ずかしいからで、逃げることに頭を使う。

日本人はきっぱりと非を認める=謝ることが簡単にできる国民であるが、タイ人の口から「おれが(あたしが)悪かった」と聞くことは稀有である。

もし口にしたとしても責任をとらなくてよい場合だけであり、問題をこれ以上こじらせないための方便であることも多い。
(その点、日本人も同じだろうが・・・・)

だから、タイ人の他人に聞かせる話というのは尾ヒレが二重にも三重にも加わり、尤もらしい話に出来上がってしまうことになる。

不思議なことに、タイ人は話を聞く側になっても、意外とあっさりその話を信じる。

元来、タイ人は猜疑心が薄いのか、日本人だったら(本当か?それ?)と一抹の疑惑を持つところ、タイ人は込み入った話になればなるほど考える力がない。

意外と素直に信じることも多い。

が、これにうっかり乗ってはいけない。
可哀想だ、哀れな境遇だと同情し始めると、どんなことでも信じてしまうことになる。

「へえ・・・そうなんだ・・・でも、おれには関係ない」くらいで聞き流したほうが無難というものである。

女は男よりも勘がするどいから、とっさに閃くウソにかけては男よりも上である。

が、女のウソは男のそれより緻密さで劣るし、巧妙でもない。
別の機会に同じ質問をしてみると、答えが違ったりする。綿密に考えれば見抜けるウソである。

なぜなら、女は自分がついたウソを(どう返答したか)覚えていないのだ。

男が女のウソに突っ込みを入れると大抵は感情的になり、こちらを責める。
(あなたの記憶違いよ!)(あたしの言った意味がよくわからなかったんでしょう!)(勘違いよ!)ということになり、結果的に喧嘩になると、これまた不思議なことに、男が負ける。(“男が折れる”と言ったほうが正しいか?)

女は(だったら抱かせないわよ!)という態度に出るから、男は負けを認めざるを得なくなることが多いのだ。
大変腹立たしい、厄介な問題である。

タイ語を解さない御仁は、到底勝ち目はないと思ったほうがよいが、ウソの上塗りをするために親戚や友人などが裏から助けている場合もあり、(これは本当の話なんだ・・・)と裏をとった気分になってしまうと、完全に心理的に篭絡されているようなものである。

タイ人の“過去の話”は、とにかく信用しないほうがよい。

日本人のように、潔く全てを吐露するということは極めて稀であるのが普通である。

日本人・中国人・韓国人のように過去のことにこだわり、絶対に許さないということもタイ人には稀である。

過去にどんなことがあっても、さらりと水に流すということが簡単にできる。日本人にとって到底許しがたいことであっても、タイ人はそういうことにこだわること自体が奇異らしい。

懐が深いと言えばカッコイイが、要するに、筋を通すほど気骨がないのだ。軟弱なのである。

とにかく、タイ人の他人に聞かせる話というのはタイ人らしい気質がモロに出るから、日本人の常識では対応できない。

タイ人の頭の中では、過去というのはすでに終わった=(結果がどうであれ)済んだことという認識しかないらしく、今まで反対を唱えていたにも関わらず、掌を返したような言動・行動に出ることも多々ありうる。
節操がないと言えばよいか。

非現代的な古い因習に囚われて生きている人も多く、同じ時代に生きている現代人とは到底思えない精神の持ち主も多い。

仏教の教えから育んでいる“慈悲深さ”、“懐の深さ”というタイの宣伝キャッチフレーズをそのまま鵜呑みにしている日本人がいるとすれば、無邪気すぎると言わざるを得ない。


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