美食を究極まで探求した北大路魯山人曰く、良い料理人の条件とは、素材の持つ可能性を極限まで引き出せる腕がある事と云う。
勿論、素材を吟味する事は、料理をする上で最も重要ではあるが、せっかく極上の素材を手に入れても、料理人の腕が悪ければ美味いものにはならない。
料理の腕は、長年の経験に培われて養うものと思いがちであるが、魯山人は「こればかりは、百年修行しても、天性の味覚が備わぬ者は良い料理は創れぬ」と喝破している。
勿論、素材を吟味する事は、料理をする上で最も重要ではあるが、せっかく極上の素材を手に入れても、料理人の腕が悪ければ美味いものにはならない。
料理の腕は、長年の経験に培われて養うものと思いがちであるが、魯山人は「こればかりは、百年修行しても、天性の味覚が備わぬ者は良い料理は創れぬ」と喝破している。
外道を極めるにあたり、魯山人の格言は誠に斟酌に値する。
夜伽の素材が幾ら容姿端麗且つ妙齢のご婦人であっても、性儀の腕が未熟であれば、果たして究極の淫売とは云えないのと同じである。
たしかに、美貌な容姿はそれだけで殿方の性欲を擽る事は可能であろう。
然しながら、自らの明眸皓歯に自惚れる余り、性儀を疎かにするようではあまりに無粋である。
勿論、中には道行く諸氏が振り返る美貌でありながらも、誠心誠意を込めて性儀を尽くすご婦人も多く、そのような御仁と運良く巡り合えれば、外道冥利に尽きるといっても過言では無かろう。
然しながら、外道を志すのであれば、是に甘受する事無く、更なる性儀を極めなければ、至高の域に到達する事はできない。
即ち、魯山人云うところの、天性の才覚である。
では、淫売に於ける天性の才覚とは何であろうか?
一概には云えぬが、陰唇の大きさや絞まり、感度と云うものではない。
これは、料理で云うところの「素材」に該当する。
才覚とは、すなわち「素材の持ち味を最大限に生かした性儀」といえよう。
明瞭な例が「お尺八」である。
こればかりは、経験や努力だけではなく、やはり才覚の為せる技と云えよう。
幾ら血の滲むような努力をもってしても、天分の才覚無くしてモーツァルトやフェルメールのような作品が生まれないのと同じである。
誠心誠意込めたお尺八が、必ずしも至高の性儀とは限らない。
天分なる才覚を持った者しか、至高のお尺八を奏でる事はできないのだ。
まさに、魯山人の格言と斟酌するものがある。
さて、前置きが長くなったが、先日パタヤのソイ6にて、類稀な才覚を持つご婦人のお尺八を堪能する機会に恵まれた。
極上のお尺八を提供するのは、ソイ6の「スカイバー」
暫くご無沙汰していたが、私の趣味を覚えていてくれた女将が、新人のご婦人を紹介してくれた。
今回お相手頂いたのは、ウボンラチャタニ県出身のアンナさん。タイ東北風の顔立ちながら、なかなか愛嬌のあるご婦人である。
西洋的な名前と顔立ちに些かの隔たりはあるとはいえ、愛らしい顔立ちは、人柄の良さを感じさせる。
ご本人曰く、21歳との事だが、齢18ほどにしか見えず、女将の配慮が窺い知れる。
店内は、お互いのプライバシーに配慮し、照明は控えめに抑えられているのが良い。
コーナーのソファーに深く腰掛け、喉を潤すために麦酒を頂く。
店主が欧州人の為、舶来ものの麦酒もあり、独逸の銘酒「ドゥンケル」を注文。
バイセンビール独特の細かい泡と風味に遠い彼の地に思いを馳せる。
お酌をしてくれるアンナさんとの会話も弾み、早速休憩にご同伴頂く事になった。
アンナさんの案内で店の奥の階段を昇ると、廊下の左に3-4室ほどの、子じんまりとした部屋が並ぶ。
やや急な階段を先導するアンナさんが、後から昇る私の足元を見守ってくれる。
「急ですから、気をつけて下さいね」
さりげない気遣いが嬉しい。
簡素な部屋には、寝床と箪笥と化粧台が置かれ、薄ぼんやりとした灯りに淫らな想像をかき立てられる。
部屋に入ると、アンナさんは少し照れながら上着を脱ぎ、黒い下着姿になった。
ブラジャーを外すと、小ぶりで上品な乳房と、東北出身のご婦人には珍しく、可愛らしい桃色の乳首がのぞく。
アンナさんは全体的に小柄だが、均整のとれた肢体は茜色の蛍光灯の下で白く映える。
さて、やや狭い浴室でお互いの体を清め、部屋に戻ると、アンナさんから顔を傾げながらの接吻を頂戴する。
「お尺八は如何でしょうか?」
濃厚な接吻を頂戴すると、いよいよお尺八のお薦めがあった。
勿論、断る理由も無い。早速、お言葉に甘えさせて頂く。
「もし、宜しければ、我慢なされずに、どうぞ口の中でお出し下さいな」
よほど自信があるのだろう。
しかし、私も簡単には逝かない。
さて、アンナさんは八の字に開いた私の両脚の間にちょこんと座り、腰を屈めながら、下腹部から大腿部にかけて丁寧に舐めていく。
暫く、愚息周辺を舐めていたが、焦らしによる我慢の限界を察し、いよいよ「お尺八」のお手前を頂戴する。
この「お尺八」が誠に以って素晴らしい。
見ると、アンナさんは愚息を深く咥えたまま暫くは何もしない。
しかし、愚息の感触は何とも言いようの無い充実した包括感に満たされている。
強めに口腔で愚息を抱擁しようとすれば歯が当たる。
然るに、逆に歯を当てるのを臆すると抱擁感が薄れてしまう。
一見して単純に見えるが、実は至極至難な技である事から、一意専心の集中力が必要とされる。
勿論、アンナさんの「お尺八」はこれで終わりではない。
暫く後に、赴けに咥えたまま顔を急速に上下へと動かしはじめたのだ。
当初の口術に感服していただけに、私は少し期待を裏切られた感を覚えた。
これまでの「お尺八」では、昨今の成人向けビデオ映画の影響からか、派手な動きが主流となりつつある。
たしかに、映像としては動きがあって趣きはあるものの、実際に高速上下運動による「お尺八」をされても、唇が亀頭に触れる程度の感触はあるものの、さほどの快感を得る事は無い。
むしろ、じっくりと舌を使いながら、丁寧に「お尺八」する方が大概にして気持ちが良いものである。
私は、かねてから、映像による悪しき慣習と嘆いていただけに、アンナさんの趣けには軽い失望を感じずにいられなかった。
しかし、その失望感を抱く間も無く、私はこの口技の快感に驚愕する事になる。
つまり、口腔に充分な抱擁を以った高速上下運動は、この上無く絶妙な快感をもたらすのだ。
勿論、歯先などは僅かにも触れる事も無い。常に口腔全体で愚息を抱擁しながらの上下運動は、更なる高度な技術が要る。
この抱擁感があり、はじめて高速上下口腔運動による恍惚なる快感が得られるのだ。
亀頭の先頭から、付け根に至る全ての部分が口腔に包まれ、高速上下運動により均等に溶けるような快感が拡がる。
アンナさんは、更に趣きを変え、亀頭を咥えながら、尿道を中心に舌先で全体を転がすように回しながら、時折唇で亀頭を吸う。
「嗚呼、何と云うことであろうか」
跳躍するようなアンナさんの動きとは対蹠的に、愚息の快感は全身を弛緩させ、まるで早春の太陽の下で干された布団に包まれたような安らぎをもたらす。
驚いたのは、アンナさんの「お尺八」は竿だけに限る事無く、更に探求の触手を伸ばし、陰嚢(ふぐり)にまでおよんだ。
陰嚢への愛撫は「お尺八」よりも難しい。
概して程度の差こそあれ、歯を当てる事さえ気をつければ、優劣の差こそあれ「お尺八」は気持ちの良いものである。
然しながら、陰嚢への口を使った愛撫は、舌の使い方を間違えると、くすぐったい感覚に終始しかねない。
特に、陰嚢への技法は、殿方の趣向の個人差にも左右されやすい。
陰嚢全体を口に含みながら、舌先で転がすのも一興ではあるが、個人的には舌全体を使った愛撫を由としたい。
つまり、亀頭に比べて陰嚢の快感神経は鈍い事から、前者の舌使いは舌先を使いながら小刻みに舐めるのが良く、逆に後者は舌全体を使い、舐め上げるような舌技が悦ばれる。
とはいえ、人それぞれに趣向は異なるので、舌の動きを微妙に変えながら、指針となる亀頭の様子を伺いつつ舐めるのが最も効果的であるとかねてから思っていた。
その点、アンナさんの陰嚢舐めは非の打ちどころが無いと云えよう。
諸々なパターンの舌の動きの中でも、特に快感神経のツボを刺激されると、愚息が脈を打ち反応する。その瞬間を見過ごさずに、アンナさんは私にとって最上の陰嚢舐めをする。
私も、かつて幾千を超える「お尺八」を堪能してきている。
平凡な技で満足するほど甘くは無い。
おそらくは、大抵の殿方は此処まで耐える事無く、口の中で果てているのであろう。
アンナさんも、都度襲いかかる津波のような口撃の快感にも怯まず、怒張し続ける愚息に、敬意を表すると同時に、プロとしての尊厳にかける意地が目の奥に潜む。
舐める方も、受ける方も真剣勝負になってきた。
アンナさんは、私の両脚を掴み尻を浮かせると、陰嚢から肛門に繋ぐ「蟻の巣渡り」を丁寧に舐めながら、舌先で肛門の周辺を刺激する。舌先が肛門に届くかと思えば離れる。
「舐めて頂けるのか?しかし、何しろ肛門舐めまでお願いするのも、いささか憚れる」
この微妙な心理を察しているのか否か、善からぬ期待に胸が膨らむ。
というのも、まさか、尻穴まで舐めて頂けるとは思わなかった為、シャワーでは愚息に比重を置くあまり、尻まで洗っていなかったからだ。
しかし、周辺を執拗に舐める舌は、期待にそぐわずに、肝心な中心の窄みには届かない。
「嗚呼さすがに、尻穴までは舐めて頂けないのか…」
半ば、諦めた矢先に、アンナさんは私の両臀部を両手でぐっと開くと、その中心の肛門に舌先を押し付けてきた。
焦らしが長かった分、この行動はあまりにも意外だった。
更に、アンナさんは、親指で私の尻穴を押し広げ、そこに舌を押し付けてきた。
その外観を直接眺める事はできないが、ぬるっとした生暖かい舌の感触を直腸入り口感じる事から、舌が肛門に挿入されている事が分かる。
嗚呼、この恍惚なる感触。
最も汚らしい部分に、躊躇う事無く舌先を使った入念な愛撫。
慈悲に満ちた行為は、国境や言語、宗教、人種を超越して、地上に居る全ての殿方の心を深い感動の海で満たさずにはいられないだろう。
まさに、類稀なる「お尺八」の才覚が育まれた菩薩の精神の土壌と云えよう。
「お前たちの造る料理は、お食べ頂いたお客様の体そのものになる。従い、例えどんな料理でも心を込めて造りなさい。そうすれば、決して妥協はできないものだよ」
生前、魯山人は「料理心得」として、自らの経営する星岡茶寮の板前達に何度も聞かせたという。
それでも、満足のいく味を出せる板前は稀少であったという。結局、椀方には当時若干26歳の料理人が努める事になったが、齢若干21のアンナさんのお尺八も、天分なる才覚があればこそと窺い知れる。
結局、充分に心のこもったお尺八を堪能させて頂き、心おきなく果てる事ができた。
陰唇から抜き取った愚息を丁寧に口で拭って頂き、最後まで楽しませて頂いた。
これまでのお尺八の中でも、間違いなく最高のお手前と評する。
因みに、お尺八といえば、殿方のツボを心得ているだけあり、カマには適わないと思っていたが、これまでの、どのカマよりも奥義を心得ていると断言する。
もし、誠の尺八を堪能したければ、迷う事無くこの店の暖簾を潜る事をお薦めする。
店名/スカイバー
最寄り駅 パタヤ北バスターミナルからソンテウで5分
ソイ6入り口から徒歩1分
営業時間 午後2時から深夜2時まで
座席数 カウンター6席(ソファー3対)
ご予算 ショート1,000バーツ~(個室代300バーツ/サービス料700バーツ~)
アンナさんは、通常7時頃から出勤
(サービス料金合計1,000バーツでアナルも可)
※基本的に予約はできませんので、直接お店にお越し下さい。
企業戦士夜の紳士録、2010年2月20日
外道の細道、2010年1月22日
夜伽の素材が幾ら容姿端麗且つ妙齢のご婦人であっても、性儀の腕が未熟であれば、果たして究極の淫売とは云えないのと同じである。
たしかに、美貌な容姿はそれだけで殿方の性欲を擽る事は可能であろう。
然しながら、自らの明眸皓歯に自惚れる余り、性儀を疎かにするようではあまりに無粋である。
勿論、中には道行く諸氏が振り返る美貌でありながらも、誠心誠意を込めて性儀を尽くすご婦人も多く、そのような御仁と運良く巡り合えれば、外道冥利に尽きるといっても過言では無かろう。
然しながら、外道を志すのであれば、是に甘受する事無く、更なる性儀を極めなければ、至高の域に到達する事はできない。
即ち、魯山人云うところの、天性の才覚である。
では、淫売に於ける天性の才覚とは何であろうか?
一概には云えぬが、陰唇の大きさや絞まり、感度と云うものではない。
これは、料理で云うところの「素材」に該当する。
才覚とは、すなわち「素材の持ち味を最大限に生かした性儀」といえよう。
明瞭な例が「お尺八」である。
こればかりは、経験や努力だけではなく、やはり才覚の為せる技と云えよう。
幾ら血の滲むような努力をもってしても、天分の才覚無くしてモーツァルトやフェルメールのような作品が生まれないのと同じである。
誠心誠意込めたお尺八が、必ずしも至高の性儀とは限らない。
天分なる才覚を持った者しか、至高のお尺八を奏でる事はできないのだ。
まさに、魯山人の格言と斟酌するものがある。
さて、前置きが長くなったが、先日パタヤのソイ6にて、類稀な才覚を持つご婦人のお尺八を堪能する機会に恵まれた。
極上のお尺八を提供するのは、ソイ6の「スカイバー」
暫くご無沙汰していたが、私の趣味を覚えていてくれた女将が、新人のご婦人を紹介してくれた。
今回お相手頂いたのは、ウボンラチャタニ県出身のアンナさん。タイ東北風の顔立ちながら、なかなか愛嬌のあるご婦人である。
西洋的な名前と顔立ちに些かの隔たりはあるとはいえ、愛らしい顔立ちは、人柄の良さを感じさせる。
ご本人曰く、21歳との事だが、齢18ほどにしか見えず、女将の配慮が窺い知れる。
店内は、お互いのプライバシーに配慮し、照明は控えめに抑えられているのが良い。
コーナーのソファーに深く腰掛け、喉を潤すために麦酒を頂く。
店主が欧州人の為、舶来ものの麦酒もあり、独逸の銘酒「ドゥンケル」を注文。
バイセンビール独特の細かい泡と風味に遠い彼の地に思いを馳せる。
お酌をしてくれるアンナさんとの会話も弾み、早速休憩にご同伴頂く事になった。
アンナさんの案内で店の奥の階段を昇ると、廊下の左に3-4室ほどの、子じんまりとした部屋が並ぶ。
やや急な階段を先導するアンナさんが、後から昇る私の足元を見守ってくれる。
「急ですから、気をつけて下さいね」
さりげない気遣いが嬉しい。
簡素な部屋には、寝床と箪笥と化粧台が置かれ、薄ぼんやりとした灯りに淫らな想像をかき立てられる。
部屋に入ると、アンナさんは少し照れながら上着を脱ぎ、黒い下着姿になった。
ブラジャーを外すと、小ぶりで上品な乳房と、東北出身のご婦人には珍しく、可愛らしい桃色の乳首がのぞく。
アンナさんは全体的に小柄だが、均整のとれた肢体は茜色の蛍光灯の下で白く映える。
さて、やや狭い浴室でお互いの体を清め、部屋に戻ると、アンナさんから顔を傾げながらの接吻を頂戴する。
「お尺八は如何でしょうか?」
濃厚な接吻を頂戴すると、いよいよお尺八のお薦めがあった。
勿論、断る理由も無い。早速、お言葉に甘えさせて頂く。
「もし、宜しければ、我慢なされずに、どうぞ口の中でお出し下さいな」
よほど自信があるのだろう。
しかし、私も簡単には逝かない。
さて、アンナさんは八の字に開いた私の両脚の間にちょこんと座り、腰を屈めながら、下腹部から大腿部にかけて丁寧に舐めていく。
暫く、愚息周辺を舐めていたが、焦らしによる我慢の限界を察し、いよいよ「お尺八」のお手前を頂戴する。
この「お尺八」が誠に以って素晴らしい。
見ると、アンナさんは愚息を深く咥えたまま暫くは何もしない。
しかし、愚息の感触は何とも言いようの無い充実した包括感に満たされている。
強めに口腔で愚息を抱擁しようとすれば歯が当たる。
然るに、逆に歯を当てるのを臆すると抱擁感が薄れてしまう。
一見して単純に見えるが、実は至極至難な技である事から、一意専心の集中力が必要とされる。
勿論、アンナさんの「お尺八」はこれで終わりではない。
暫く後に、赴けに咥えたまま顔を急速に上下へと動かしはじめたのだ。
当初の口術に感服していただけに、私は少し期待を裏切られた感を覚えた。
これまでの「お尺八」では、昨今の成人向けビデオ映画の影響からか、派手な動きが主流となりつつある。
たしかに、映像としては動きがあって趣きはあるものの、実際に高速上下運動による「お尺八」をされても、唇が亀頭に触れる程度の感触はあるものの、さほどの快感を得る事は無い。
むしろ、じっくりと舌を使いながら、丁寧に「お尺八」する方が大概にして気持ちが良いものである。
私は、かねてから、映像による悪しき慣習と嘆いていただけに、アンナさんの趣けには軽い失望を感じずにいられなかった。
しかし、その失望感を抱く間も無く、私はこの口技の快感に驚愕する事になる。
つまり、口腔に充分な抱擁を以った高速上下運動は、この上無く絶妙な快感をもたらすのだ。
勿論、歯先などは僅かにも触れる事も無い。常に口腔全体で愚息を抱擁しながらの上下運動は、更なる高度な技術が要る。
この抱擁感があり、はじめて高速上下口腔運動による恍惚なる快感が得られるのだ。
亀頭の先頭から、付け根に至る全ての部分が口腔に包まれ、高速上下運動により均等に溶けるような快感が拡がる。
アンナさんは、更に趣きを変え、亀頭を咥えながら、尿道を中心に舌先で全体を転がすように回しながら、時折唇で亀頭を吸う。
「嗚呼、何と云うことであろうか」
跳躍するようなアンナさんの動きとは対蹠的に、愚息の快感は全身を弛緩させ、まるで早春の太陽の下で干された布団に包まれたような安らぎをもたらす。
驚いたのは、アンナさんの「お尺八」は竿だけに限る事無く、更に探求の触手を伸ばし、陰嚢(ふぐり)にまでおよんだ。
陰嚢への愛撫は「お尺八」よりも難しい。
概して程度の差こそあれ、歯を当てる事さえ気をつければ、優劣の差こそあれ「お尺八」は気持ちの良いものである。
然しながら、陰嚢への口を使った愛撫は、舌の使い方を間違えると、くすぐったい感覚に終始しかねない。
特に、陰嚢への技法は、殿方の趣向の個人差にも左右されやすい。
陰嚢全体を口に含みながら、舌先で転がすのも一興ではあるが、個人的には舌全体を使った愛撫を由としたい。
つまり、亀頭に比べて陰嚢の快感神経は鈍い事から、前者の舌使いは舌先を使いながら小刻みに舐めるのが良く、逆に後者は舌全体を使い、舐め上げるような舌技が悦ばれる。
とはいえ、人それぞれに趣向は異なるので、舌の動きを微妙に変えながら、指針となる亀頭の様子を伺いつつ舐めるのが最も効果的であるとかねてから思っていた。
その点、アンナさんの陰嚢舐めは非の打ちどころが無いと云えよう。
諸々なパターンの舌の動きの中でも、特に快感神経のツボを刺激されると、愚息が脈を打ち反応する。その瞬間を見過ごさずに、アンナさんは私にとって最上の陰嚢舐めをする。
私も、かつて幾千を超える「お尺八」を堪能してきている。
平凡な技で満足するほど甘くは無い。
おそらくは、大抵の殿方は此処まで耐える事無く、口の中で果てているのであろう。
アンナさんも、都度襲いかかる津波のような口撃の快感にも怯まず、怒張し続ける愚息に、敬意を表すると同時に、プロとしての尊厳にかける意地が目の奥に潜む。
舐める方も、受ける方も真剣勝負になってきた。
アンナさんは、私の両脚を掴み尻を浮かせると、陰嚢から肛門に繋ぐ「蟻の巣渡り」を丁寧に舐めながら、舌先で肛門の周辺を刺激する。舌先が肛門に届くかと思えば離れる。
「舐めて頂けるのか?しかし、何しろ肛門舐めまでお願いするのも、いささか憚れる」
この微妙な心理を察しているのか否か、善からぬ期待に胸が膨らむ。
というのも、まさか、尻穴まで舐めて頂けるとは思わなかった為、シャワーでは愚息に比重を置くあまり、尻まで洗っていなかったからだ。
しかし、周辺を執拗に舐める舌は、期待にそぐわずに、肝心な中心の窄みには届かない。
「嗚呼さすがに、尻穴までは舐めて頂けないのか…」
半ば、諦めた矢先に、アンナさんは私の両臀部を両手でぐっと開くと、その中心の肛門に舌先を押し付けてきた。
焦らしが長かった分、この行動はあまりにも意外だった。
更に、アンナさんは、親指で私の尻穴を押し広げ、そこに舌を押し付けてきた。
その外観を直接眺める事はできないが、ぬるっとした生暖かい舌の感触を直腸入り口感じる事から、舌が肛門に挿入されている事が分かる。
嗚呼、この恍惚なる感触。
最も汚らしい部分に、躊躇う事無く舌先を使った入念な愛撫。
慈悲に満ちた行為は、国境や言語、宗教、人種を超越して、地上に居る全ての殿方の心を深い感動の海で満たさずにはいられないだろう。
まさに、類稀なる「お尺八」の才覚が育まれた菩薩の精神の土壌と云えよう。
「お前たちの造る料理は、お食べ頂いたお客様の体そのものになる。従い、例えどんな料理でも心を込めて造りなさい。そうすれば、決して妥協はできないものだよ」
生前、魯山人は「料理心得」として、自らの経営する星岡茶寮の板前達に何度も聞かせたという。
それでも、満足のいく味を出せる板前は稀少であったという。結局、椀方には当時若干26歳の料理人が努める事になったが、齢若干21のアンナさんのお尺八も、天分なる才覚があればこそと窺い知れる。
結局、充分に心のこもったお尺八を堪能させて頂き、心おきなく果てる事ができた。
陰唇から抜き取った愚息を丁寧に口で拭って頂き、最後まで楽しませて頂いた。
これまでのお尺八の中でも、間違いなく最高のお手前と評する。
因みに、お尺八といえば、殿方のツボを心得ているだけあり、カマには適わないと思っていたが、これまでの、どのカマよりも奥義を心得ていると断言する。
もし、誠の尺八を堪能したければ、迷う事無くこの店の暖簾を潜る事をお薦めする。
店名/スカイバー
最寄り駅 パタヤ北バスターミナルからソンテウで5分
ソイ6入り口から徒歩1分
営業時間 午後2時から深夜2時まで
座席数 カウンター6席(ソファー3対)
ご予算 ショート1,000バーツ~(個室代300バーツ/サービス料700バーツ~)
アンナさんは、通常7時頃から出勤
(サービス料金合計1,000バーツでアナルも可)
※基本的に予約はできませんので、直接お店にお越し下さい。
企業戦士夜の紳士録、2010年2月20日
外道の細道、2010年1月22日