【外道の細道】『煩悩の夕暮れ』リターンズ


本ブログは、2012年3月15日にお亡くなりになった「外道の細道」管理人、故外道紘さんの
まとめブログです。本ブログは、『The Internet Archive』からデーターを復旧しております。
本ブログは、オリジナルの「外道の細道」及び、その関連サイトとは何ら関係がございません。
本ブログ以外の「外道の細道」に関係する事象には、一切お応えすることができませんので、
ご了承ください。(2016年6月15日 外道 邦)

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コメント返信コーナー

【2017年11月10日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさんより】
外道邦さん、こんにちわ!

コメントありがとうございます。

なるほど、アフリカ人のお姉さんの腰があんなに頑丈そうなのは子孫量産後という可能性は十分ですね。幻想は捨てましょう。

ウボン・ラチャタニーのスカイレーダーの画像を拝見して、思い出しました。

1990年代はじめにタイ東北部のウドン・タニ空港にバンコクのドンムアン空港からプロペラ機で着陸した際、駐機場と空港ビルの中間の空き地にスカイレーダーと思しき古い機体が雑草のなかに残されていました。

まさに芭蕉の句「夏草や強者どもが夢の跡」の風情。

時にはアメリカのベトナム戦争経験者が懐古趣味でウドンを訪ねて来ていたのでしょうか。

ウボンはホーチミン・トレイルの横っ腹に突きつけた匕首でしたが、ウドンは米軍のラオス内戦支援や北ベトナム爆撃サポート基地でしたね。

ウドンの空港を出ると通りの向こう側に、廃業した風呂屋の建物がありました。ラオスや北ベトナム攻撃から帰還したパイロットが直行?したのでしょうね。

ホテルに到着したら、ウドンで一番まともなホテルと思っていたにも拘わらず、ホテルの中でも風呂屋が営業していたのに驚きました。

ベトナム戦争当時のバンコクの米兵の写真、楽しみにしております。
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外道風呂

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【2017年11月9日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさんより】
外道邦さん、こんにちわ!

コメントありがとうございます。

ハラショー・アリス」楽しく読ませて頂きました。ロシアのお姉さんと友好親善を深めるには、ウオッカの連続一気飲み比べが出来ないとダメのようですね。

年寄りがそんな事をするとショック死に繋がりますね。誠に残念です。

1960年代にベトナム戦争がらみの死の商人やらがグレース・ホテルに泊まるというのはどうでしょうね。

やはりドゥシタニ・ホテルとかエラワン・ホテルとかの高級ホテルではないでしょうか。

1960年代は産油国の仕事は原油輸出までで、ガソリンなどの石油製品の精製流通販売は米英のオイル・メジャー傘下に独占されていましたから、アラブの石油商人が米軍に石油製品を直接売り込むのは困難だったのでは?と思います。

在日米軍に燃料供給していた日本の石油精製会社がベトナム特需で儲かっていたのでは?と思います。

アフリカ人のお姉さんは頑丈なカバのような体型で、あんな股に挟まれると骨盤にひび割れができそうですね。

とはいえ、ヒップの盛り上がりでクッションが効いているのかもしれませんが?続きを読む>>
外道風呂

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【2017年11月8日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさんより】
外道邦さん、こんにちわ!

興味深いコメントを頂きありがとうございます。

グレース・ホテルは1966年創業でしたか。

ホテル・インフォメーションの文脈からすると、創業時期と場所(アラブ人街付近)を並記したようにもとれます。

というのは1966年はアメリカが南ベトナムに50万人の兵隊を送り込んで索敵撃滅作戦や枯れ葉作戦の真っ最中で、バンコクは彼らのR&R(Rest and recreation)の休養地でしたから、ホテル・オーナーは米ドルを当てにしてホテルを開業したように思います。

アラブ人が金持ちに成ったのは1973年10月のいわゆるオイル・ショックで石油価格が高騰してからなので、1966年の時点ではアラブ人がバンコクで大盤振る舞いしていたとは思えません。

ロシアのお姉さんはオーチニ・ハラショーでしたが、プーチンが大統領になってからバンコクから徐々に姿を消しましたね。

残っているのは旧ソ連の中央アジア系貧困国のお姉さんばかりでは?

昨年久し振りにナナ交差点を歩きましたが、アフリカ人の黒光りお姉さん軍団に驚きました。続きを読む>>
外道風呂

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【2017年11月7日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさんより】
外道邦さん、こんにちわ!

私のコメントに別スレッドを立てて頂き、ありがとうございます。

邦さんの1980年年代以降のナナプラザの歴史の構想は素晴らしいと思います。恐らく実際の歴史もこれに近かったのではないかと思います。

ただソイ3-1は小さなスペースでアラブ人の観光客を全て吸収するのは難しいと思います。

ソイ3-1の裏に控えているグレース・ホテルは、昔からJF不要の大型安ホテルで、テルマエ・コーヒー・ショップと並ぶ?、コーヒー・ショップもありましたので、ソイ3とソイ3-1を含む広いエリアが徐々にアラブ・アフリカ系エリアになっていったように思います。

またナナプラザの1990年代前半は逆に徐々にアラブ離れが進んだと思います。1990年代前半でもナナプラザの客のメインはファランだったと思います。アラブ人はナナプラザの一部分にかたまって楽しんでいたわけです。

ナナプラザのアラブ人ばなれには、1990年代前半のタイとサウジアラビアの関係の悪化が影響しているのではないかとも思います。

これはサウジアラビア王室の某王子の宮殿の門番に雇われていた若いタイ人が、1989年に、総額1千2百万英ポンド(当時のレートで約20億円相当?)ともいわれる巨額の宝石類を盗み出してタイに密輸入したことに始る複雑怪奇な事件でいまだに事件の全容解明には程遠いものです。

こういった事情で、もはやナナプラザも金満アラブ人に頼れなくなったのがナナプラザのターゲット転換の背景にあったとも考えられます。

上の事件は、英文ウィキペディアにはBlue Diamond Affairというタイトルで概略が掲載されています。
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外道風呂

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【2017年11月6日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさんより(その1)】
外道邦さん、こんにちわ!

私のコメントに別スレッドを立てて写真で説明して頂き、ありがとうございます。

上から二枚目のナナ・プラザの入口のNANA PLAZA SHOPPING CENTERというゲートを見た瞬間、見たことがあるような感覚に襲われました。ひょうっとしたら1991年頃まであのゲートだったのかもしれません。

1992年3月に私が撮った写真にはNANA ENTERTAINMENT PLAZAという新しいゲートに代わっています。

この写真にアラブのベドウィン衣装のおっさんが写っていますが、スクンビットのソイ3-1は1990年代はじめからアラブ系アフリカ系がうろうろしてました。

ナナプラザには当時、Abu Khalil Lebanise Restaurant(アブ・ハリール・レバノン・レストラン)とCous Cous Restaurant(クス・クス・レストラン、モロッコ料理クスクスのレストラン?)という二つのアラブ人向けレストランがあり。これらはのちに取り壊されて1995年には髑髏のネオンのゴーゴー・バー「ヴードゥーVoodoo」になりました。

また90年代初めのモンシェリー・バーにはよく金満アラブ人の若い連中が来ていました。

モンシェリー・バーは中二階とか小部屋とかがある、バーというよりクラブに近い造りで、アラブの連中はダンサーを両方にはべらしてインスタント・ハーレムを楽しんでいました。

4枚目のナナプラザの祠は花輪一杯で、前に台が置かれて何やら載ってますから、邦さんの想像通りロイカトーン祭りの時期でしょうね。



【おじいさんより(その2)】
外道邦さん、コメントの続きです。字数制限にひっかかったようなので、二つに分けました。

外道写真館資料館も拝見させて頂きました。

1980年代前半のスクンビットとソイ・ナナ(ソイ4)の角の鉄板屋根?のポリボックス写真は強烈ですね。

この写真を視るだけでタイの猛暑を想像してしまいます。

いまもBTSの陰の同じ場所にコンクリート製のポリボックスがありますね。

1983年のスクンビット・ソイ20界隈の写真はソイ23とソイ18の中間辺りにあった陸橋の上からソイ・アソーク方面を撮ったものですね。

現在エクスチェンジ・タワーの在るアソークの角にあった観光客用大型シーフード・レストランのおおきな海老のネオンの骨組みが懐かしいです。続きを読む>>
外道風呂

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【2017年11月5日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさんより】
外道邦さん、お早うございます。

わたしのコメントに別スレッドでお返事頂きありがとうございます。

バンコク・パタヤでもロイカトーン祭りをやっているようで、安堵しました。

お返事に貼り付けていただいたRubyclub Soi6の画像の金ぴかに着飾ったお姉さんの風情がたまりませんね。こんなお姉さんにはチップを弾みたくなります。

ナナ・プラザが昔はショッピング・センターだったというお話は興味深いですね。

それがどんな風に夜の世界に変貌していったのかを辿ってくれるルポ・ライターが現れて欲しいですね。

邦さんが仰るように、ナナ・プラザの中庭に何もなくて、プレイスクール・バーがあった場所にモンシェリー・バーがあって、二階の奥のレインボー4バーがあった辺りに、ダンサーの居ないミュージックバーのウッドストックがあった1990年代が懐かしいですね。

時代を通して残っているのは、ナナプラザに入ってすぐ右側のエスカレーター前の祠だけかも知れません。

ロイカトーンの夜には、あの祠には花輪とお線香が供えられて、盥に灯籠が浮かべられていることでしょう。続きを読む>>
外道風呂

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【2017年11月4日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさんより】
外道邦さん、お早うございます。

私の保存していた外道紘さんの赤シャツ騒動の感想を公開して頂きありがとうございます。

少しはお役に立てたかと嬉しく思っています。

私は赤シャツ騒動の一年後にバンコクに行ったのですが、その頃はBTSプルンチット駅とサイアム駅の間の両側のバンコク中心部は復旧工事の真っ最中で、焼け焦げたビルの壁が騒動のもの凄さの跡を留めておりました。

ところで、日本は今日から三連休でタイにも日本人観光客が押し寄せていると思います。

今夜の十五夜の月夜をチェンマイあたりでは恒例のロイカトーン祭りで盛り上げるようですが、バンコク・パタヤ方面ではそのニュースがありませんが、どうしたのでしょうね。

先週のプミボン国王陛下の葬儀のこともあり、バンコク近辺ではロイカトーン祭りは延期するのでしょうか?

日頃は生々しい欲望渦巻くナナやカウボーイも、ロイカトーン祭りには古風な優雅さを装って気品を漂わせていたと記憶しています。

もう一度、優雅なロイカトーンの夕べを味わいたいものです。続きを読む>>
外道風呂

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【2017年11月3日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさん】
外道邦さん、こんにちわ!

私のコメントに別スレッドを立てて頂きありがとうございます。

邦さんが引用された外道紘さんの2010年4月11日の解説と感想の後の、5月16日ごろの有様と事態収束後の状態について、当時私が「外道の細道」から保存した、テキストが見つかりましたのでご参考までに下に貼り付けます。

こうして読んでゆくとあの事件が4月11日の衝突から5月19日の赤シャツ幹部の投降とその後の大混乱が良く解り、外道紘さんならではの語り口にほれぼれします。

テキストは読みやすいように私が改行し、紘さんの感想の後に載せられた現地のニュースや大使館の広報などは省略してあります。続きを読む>>
外道風呂

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【2017年11月2日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさん】
またまた別スレッドありがとうございます。

外道紘さんの桑井川神社初詣報告、興味深く面白く読ませて頂きました。

外道紘さんは、天才的ルポ・ライターですね。夜の世界に限らず、洪水時や赤シャツ暴動事件の際のルポはプロの報道記者も顔負けでしょう。彼の早すぎる昇天が悔やまれます。

邦さんが書かれたデヴィッド・ボウイーの「レッツ・ダンス」以前と以後の区分は私も同感です。

「レッツ・ダンス」以後はメジャーな世界のスーパースターのイメージをポップミュージックの世界から押しつけられてしまった感がありますね。

とはいえ、彼が2002年に発表したアルバム“heathen"は前年の9/11事件の衝撃か?、初期のボウイーに通じる終末論的な陰影が漂う作品で、私の愛聴盤です。
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外道風呂

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【2017年11月1日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさん】
外道邦さん、こんばんわ!

私のコメントに別スレッドをたてて頂きありがとうございます。

私が書いた本は邦さんがペーストされた表紙の本です。

PATPONG Bangkok's Big Little Street

この本はThai Watana Panich Press Co. Ltd. Bangkokという所で印刷されたと書かれています。恐らくバンコク近辺だけで販売されたのではないでしょうか。

1970年代後半から80年代にかけて、インドシナ半島では、南ベトナムの崩壊とボートピープルの大量発生、ラオスの共産化、カンボジアのポル・ポト派政権のジェノサイドとベトナム軍のカンボジア侵攻という最悪の事態のなかで、当時はタイだけがまともな状態だったので、タイが注目されたのでしょう。

世界的なタイ観光ブームはバンコクのファラン上流社会をエロチックに映像化した1974年のフランス映画「エマニュエル夫人」辺りが始まりではないでしょうか。

「007黄金銃を持つ男」のおかげでプーケットが人気になりましたね。

デヴィッド・ボウイーのタイでの1983年のプロモーションビデオといわれると、彼がグローブとトランクスでボクサー・スタイルのジャケットのアルバム「レッツ・ダンス」を発表してミリオンセラーを記録した時代ですから、ボウイーのタイ・ボクシング風PVを想像してしまいますが、楽しみにしています。
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【2017年10月31日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさん】
管理人さん、こんにちわ!

プミボン国王陛下の葬儀も終わり朝刊パタヤで明ける朝は快適です。

パッポン・ストリートの起源についてのSさんのメールは興味深いですね。

おそらくウドム・パッポン氏が亡くなった1995年?頃のタイの新聞記事かなにかの翻訳でしょう。

その中にも出てくる作家アランダウソン(Alan Dawson タイ在住のジャーナリスト)が1988年にタイで出版した英文のドキュメンタリー"PATPONG Bangkok's Big Little Street"という本を1990年代にバンコクで買ったのですが、そこにも同じようなことが書かれています。

その本の終わりの辺りに、ロバート・デニーロとクリストファー・ウオーケン主演の1978年公開のベトナム戦争映画「デアー・ハンター」撮影時のエピソードがあります。

この映画のベトナムのシーンは殆どタイで撮影されたようです。

映画の中で、ベトコン収容所から奇跡的に脱出したアメリカ兵役のウオーケンがサイゴンの繁華街チュドー・ストリート(現在のドンホイ・ストリート)の夜を彷徨う場面は映画撮影当時のパッポン・ストリートでロケされたこと。

ゴーゴーバーのシーンは当時パッポンにあったミシシッピー・クイーンというゴーゴーバーで撮影されたことが書かれています。

パッポン・ストリートの映像にはゴーゴーバー「キングス・コーナー」があるビルの元のテナントであるエール・フランスの特徴ある看板が映っています。

これらはパッポンの貴重なドキュメンタリーでしょう。続きを読む>>
外道風呂

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【2017年10月24日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさん】
管理人さん、お早うございます。
10月24日付け朝刊パタヤその2の二番目の「なす」さんのツイートにぶら下がっているブログを読み始めたら「あなたのスマホは4つのウイルスに感染しているので駆除します」というメッセージと 「イエス」だけのダイアログボックスが出て来たので、これは怪しいと感じて何もせずにサイトを閉じました。

調べてみて下さい。上のツイートは削除したほうが良いのでは?と思います。ご参考まで。



【外道邦】
おじいさん、おはようございます。
情報をご提供いただき、ありがとうございます。

なす☆さんのブログは、読者数も多い上に、なにより "google" で「なす☆ パタヤ」と検索をかけると上位に引っかかるという点でも、安全性に問題はないのではないかと思います。

最近の "google" は危険なサイトの検索順位を大幅に下げたり、あまりに酷い場合は "google八分" にして、検索結果を表示しないようにしてしまいます。

念のため、セキュリティ・ベンダーのトレンドマイクロが提供している、"Webサイトの安全性評価" を使って、このブログを調べてみましたが、「最新のテストでは、このWebサイトに有害なプログラムやフィッシング詐欺の兆候はありませんでした」と表示されるので、やはり、問題がある可能性は少ないと思います。

【参考】
トレンドマイクロ Webサイトの安全性評価
https://global.sitesafety.trendmicro.com


また、YOMIURI ONLINE 2016年07月08日の記事に、この事象についての詳しい解説がありました。

------------------------- 一部抜粋 ---------------------------
「あなたの電話はウイルスを持っています!」という不自然な日本語タイトルで、筆者のスマホの機種名と、感染したと称するウイルスの名前が書かれている。この画面をキャンセル(ブラウザー上で戻る)すると、さらに別の画面にジャンプし、「ブルブルブル」とスマホが振動した。スマホのバイブレーション機能を使ってビックリさせようとする手口だ。

 この偽警告は、以前からスマホ向けサイトで見かけるものだが、最近特に増えているように感じる。

〜中略〜

冒頭に紹介した筆者の体験例でも、Google Play上のアプリに誘導するものだった。ウイルス感染などの偽警告で脅すものの、実際には正規アプリをダウンロードさせるものなので、「不正広告」「不正アプリ」として摘発できないという面がある。利用者にとっては厄介なものだ。

〜中略〜

●脅しの広告が出ても信じない
 広告やウェブサイト表示で「警告!ウイルス感染しています」「スピードが遅くなっています」などの表示が出ても信じないこと。広告やサイト表示だけでは調査できないので、明らかな脅しで、騙しの広告である。
-----------------------------------------------------------------

なぜ、おじいさんが「なす☆」さんのブログを閲覧した時に、この事象が生じたのかはわかりませんが、おじいさんがとられた行動は、"YOMIURI ONLINE" に書かれているとおり、全くもって正しい対応です。

おそらく、この件に関しては、おじいさんのスマートフォンには何の心配もないのではないでしょうか。

ちなみに、今回、僕のスマートフォンで、試してみたところ、「イエス」のみのダイアログボックスは表示されませんでした。

ただ、以前には、何度も他のサイトで、似たような警告表示を見かけており、対応はおじいさんと同じく、「閉じる」、いつもこれだけです。

この件はコメント欄に残すと、長期に渡って、このブログのトップに表示され、読者に誤解を招く可能性があり、なす☆さんのブログ運営に影響が出るかもしれないので、コメント欄には残さず、記事として掲載しました。

※もし、管理人の認識に、間違いや誤解があれば、どなたでも構いませんので、ご指摘いただければ幸いです。


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外道風呂

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【2017年10月10日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさん】

私のコメントに別スレッドを立ててお返事いただきありがとうございます。

もう年のせいでお姉さんと楽しむパワーが無くなってるせいか、コスパについては最近全然考えていませんが、邦さんの1ヤワラーは10ドル相当という想像をしています。

1バーツ10円時代?にタイ旅行をした方が、タイでは何でも10ドルだったと云うのを聞いたことがありますし、現在10ドル=330バーツ位とすれば、当たらずとも遠からず?

このところのゴーゴーバーのお姉さんのコストの急上昇は、為替レートとは違う、タイ社会での働き方の転換に原因が有るような気がします。

昔はゴーゴーバーのダンサーは田舎の農村出身ばかりでしたが、バンコクではいまや地元の勤め人やOLが、高給を求めてコヨーテになったりしているのでは?

パタヤは農村部に近いし、そうならないようにして欲しいですね。



【外道邦】

こんなに熱心に、コメント投稿してくださるというのに、年のせいで、オネェさんと楽しむパワーが無くなってきているというのは、本当に残念で、涙が止まりません。

しかし、小柄なオネェさんの騎乗位や、美女のお尺八を堪能するという楽しみまで、奪われることはないのではないでしょうか?

身体に負担がかからない外道を追求し、たとえ、年老いたとしても、末永くセックスを楽しむ。
これも外道者の務めだと思います。

おじいさんのおっしゃるとおり、社会構造の変化で、バンコクは、随分、世知辛くなってきており、人も冷たくなり、ゴーゴーバーのオネェさんの価格も、あまり魅力を感じなくなってきているので、ここはやはりパタヤで、外道士族、もとい死族の道を追求してみてください。

いつもどおり、おじいさんからのコメントは大歓迎です。

ということで、平民の諸君は、パタヤにて、小柄で、フェラが絶妙で、ニサイディーなオネェさんを発見次第、ちゃんとレポートするように。

これは人助けだ。
そして、必ず自分の身に返ってくる。



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外道風呂

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【2017年10月7日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさん】

管理人さん、こんにちわ!

neguroさんのユーロ外道コラム、興味深く読ませて頂いてます。

書かれたのが2008年9月始め、リーマンショック直前の嵐の前の静けさの時期と言うのも微妙ですね。

1990年代始めのタイの日本人社会では、1バーツ10円族の古顔と1バーツ5円族の新顔といった様なことが言われてました。

これはneguroさん流にいうと、1985年のプラザ合意による急激な円高(1ドル250円から1ドル120円へ)によるものでしょう。

そういう言い方をすれば、1998年タイ通貨危機以後の日本人は1バーツ3円族で、20年近く経った今でもそのままですね。

タイのゴーゴーバーのお姉さんに掛かるコストも1バーツ5円時代になっても1バーツ10円時代とあまり変わらなかった?ので、日本人には割安感があったのかもしれません。

そのころ殆どの日本人はタニヤのクラブか風呂屋で楽しんでおり、ゴーゴーバーはファランの独占状態でした。



【外道邦】

僕も1バーツ3円族ですが、「外道を生きる」の1ナタリー5000円族でもありました。
でも、ナタリー無くなっちゃった。

そこで、ナタリーに代わる外道通貨単位として、1ヤワラー1000円を提唱したいと思います。

ヤワラーのタチンボ(座ってもいます)の価格帯は、ショート300〜400バーツ。
ここ20年の、ヤワラー・マンコ・インフレ率は、約2%程度で、ヤワラー・マンコを流動性金融資産とみても、比較的落ち着いた商品ではないかと思います。

為替レートの変動を大雑把に計算に入れても、まぁ、だいたい1000円と考えていいでしょう。

MPで、お姉ちゃんにチップ300バーツあげたら、1ヤワラー。
「チッ、チップなんかあげなきゃよかった、ヤワラーで一発抜けるぜ、もったいないことをした」と、頭の中がヒロポン軍曹化してくるので、外道街道まっしぐらになること請け合いです。

愛なきセックスバンザイ。
というのは、半分冗談、半分は本気ですが、とにかく、精力的にブログを読んでいただき、ありがとうございます。

今回の「ユーロ外道」のように、かつて脚光を浴びた外道の細道への投稿が、時を隔ててなお、外道者のお役に立ち、新しい発想や、遊びの妙を得るきっかけになれば、まさにバンザイです。

※「外道を生きる」は、近日電子書籍化予定、ちょっと待ってね(はぁと)


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