【外道の細道】『煩悩の夕暮れ』リターンズ


本ブログは、2012年3月15日にお亡くなりになった「外道の細道」管理人、故外道紘さんの
まとめブログです。本ブログは、『The Internet Archive』からデーターを復旧しております。
本ブログは、オリジナルの「外道の細道」及び、その関連サイトとは何ら関係がございません。
本ブログ以外の「外道の細道」に関係する事象には、一切お応えすることができませんので、
ご了承ください。(2016年6月15日 外道 邦)

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おじいさん

【2017年11月28日】コメント返信コーナー おじいさんへ

おじいさん、おはようございます!!
コメント、ありがとうございます!!

>外道紘さんの外道の細道を極めるのは、松尾芭蕉の奥の細道以上に嶮しいかも知れませんが、邦さんの頑張りに声援を贈りたいと思います。

そう言っていただけると、たいへん勇気が湧いてきます。
ただ、険しい上に、曲がりくねっておりますので、全然先が見えません(汗)

>マイペースで進んでいって良いのではないでしょうか。

ありがとうございます。
時々、日本に帰国しますので、年に3ヶ月ぐらいはお休みを頂戴いたします。

>アジアのジャンヌダルクというと、やはりベトナムではないでしょうか。

>ホーチミン市、ハノイ、ダナンなどのベトナムの主要都市にはハイバーチュン通りという通りがありますが、これは西暦40年に中国軍を破ってハノイのあるトンキン・デルタ中心のベトナムの独立に貢献したチュン姉妹通り
という意味だそうです。

これは知らなかったです。
僕は大学入試を世界史で受けたのですが、手元にある当時の参考書を読んでも、全く載っておりませんでした。

>ジャンヌダルクの祖先みたいなものですね。

「フルメタル・ジャケット」という、ベトナム戦争を描いた映画で、北ベトナム軍の少女スナイパーが、米兵を狙撃で殺しまくるシーンがありますが、数千人を率いて野戦を戦う指揮官となると、現代社会では、全く想像がつきませんね。

>ホーチミンのハイバーチュン通りには、お姉さんの居るバーが何軒かあったと思います。

観光客が多い、ドンコイ通りの近くですね。
オペラハウスを挟んだ向こう側。

お姉さんがいることは知らなかったです。
ストリート・ビューを見てみると・・・・怪しい匂いがプンプンしますね。



>開高健のベトナム戦争当時のことをテーマにした小説にもハイバーチュン通りの酒場が出て来ますね。

僕は開高健さんの小説を読んだことがないのですが、探してみたところ、いくつか出てきました。
これら・・・でしょうか? 父の書斎にあったことを覚えています。

輝ける闇 (新潮文庫)
開高 健
新潮社
1982-10-27


夏の闇 (新潮文庫)
開高 健
新潮社
1983-05


花終る闇 (新潮文庫)
開高 健
新潮社
1993-03


ベトナム戦記 (朝日文庫)
開高 健
朝日新聞社
1990-10-01


僕は、クメール・ルージュに処刑された、戦場カメラマン、一ノ瀬泰造の映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」に、当時のベトナムの酒場のシーンが出てくるので、これを書きながら、その場面を思い出しております。

この映画が公開された当時は、アンコール・ワットを目指す一ノ瀬泰造と、マンコを目指す自分の姿を重ねながら、ナナ・プラザに突撃していました。

>映画「レオン」は見ていなかったのでyoutubeで一寸覗いてみました。

>「子連れ狼」ならぬ「小娘連れ狼」のお話しなんですね。

この映画、今の若い子達にもファンが多いらしく、なんでも、新進気鋭の若手シンガーソングライター、家入レオちゃんは、自分の芸名をこの映画から取ったそうです。

>13才のナタリー・ポートマンのマチルダが大人ぶってLike a virginを歌うといのは、ロリ愛好家の心を揺さぶりそうですが、実際にはそんな夢のような場面に出くわすことはそうそう有りませんね。

13才のナタリー・ポートマンの、スケ乳首が拝める映画ですが、これは児童ポルノ法に抵触しないのでしょうか?

>ゴーゴーバーの「マイウェイ」はリズムに乗って踊れないので、ダンサー泣かせですね。

客であった僕達も、どうしていいのかわからず、とても困りました。

>酔っ払って気分のよくなったファランのリクエストではないでしょうか。

セックス・ピストルズが「マイウェイ」をカバーしていますが、そっちと間違えたのかもしれません。

>歌詞のなかに Regret !, I have a few to mention..... (残念なことに、幾つか気掛かりなこともある云々)といったくだりもありますから、懺悔の気持ちになったのでしょうか?

これは、「残念なことに、やり残した、激烈な変態プレイもある」と、解釈するといかがでしょうか?

その後の歌詞に、

I did what I had to do and saw it through without exemption
I planned each charted course, each careful step along the by way
And more, much more than this, I did it my way"


とありますが、これを外道風に意訳すると、



私は、常に外道として、ヤラねばならぬ変態行為の数々を成し遂げてきた、如何にキチガイじみたプレイでも、免除することはなかった。

それぞれのプレイを行うにあたり、気持ちの良い方法に従って、注意深くステップを踏み、それぞれのコースを計画してきた。

さらに、さらに、これ以上変態チックなことも、私の方法でやってきた。

私の信ずるままに・・・・・



これは、外道者が、まさに人生を終えようとする、その時に流す曲ではないでしょうか。

外道者の葬儀は、坊主の読経ではなく、フランク・シナトラのマイ・ウェイ・・・・

地上で、こんなことを言っていると知ったら、地下のシナトラは、さぞ、不本意な思いを抱くかもしれませんね。



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【2017年11月27日】コメント返信コーナー おじいさんへ

おじいさん、おはようございます!!
コメント、ありがとうございます!!

>邦さんのフリーランスお姉さんの体験談で本が一冊出来そうですね。

>人生まだ先は長いですから、その体験をじっくり暖めて大作に仕上げられるのを待っています。

過分なお褒めのお言葉と、期待をかけていただいて、光栄です。

ただ、僕はおじいさんが思っておられるほど、外道経験があるわけではなく、乏しい経験をチョロチョロと、少しずつ、この場で開陳しているだけなのです。

紘さんが遺した超大作、「外道の細道」を、さらなる高みに持ち上げるのが、僕の仕事だと思っております。

>stepping stoneになる女、いわゆる上げ曼というのはなかなか見付かりませんね。

>とくにタイでは前にも言ったように男女の立ち位置の逆転現象があるので、皆無ではないでしょうか。

ホント、女はよく働くのに、男はグウタラが多いですね。

>メコン川を超えて儒教文化圏に入れば、可能性はあると思います。

ラオスですと、旧宗主国フランスの女傑、ジャンヌ・ダルクの影響を受けた女性が、存在するかもしれませんね。

>エヴィータはカトリックの聖母崇拝を利用してエヴィータが「生き聖母」になって国民を導きつつ夫を権力の座につけたわけですが、その役を聖母歌手?マドンナが演じ歌うというのも面白いですね。

>私個人としては、その中でアントニオ・バンデラスのチェ・ゲバラが歌う Oh, What a circus! を買ってますが・・・

ラテンのノリなのに、歌詞はほとんどが英語、というところがいいですね(僕はスペイン語を理解できないのです)。

>風呂屋のお姉さんは客を選べないハードな仕事だという、邦さんのご意見に私も賛成です。

客に、蛭子能収なんかが来た日には、発狂死寸前になりそうですね。

>生け簀の中から選んで食べる、活き作り割烹みたいなもので、そこに行き着くまでの駆け引きや疑似ロマンがないのが、男の側からしても面白みに欠けますね。

そこへいくと、サイアムのカフェなんかは、「羽生結弦みたいなのが、来るまで待っていればいいや、来なけりゃ、来ないで、また明日来よう」という感じで、お姉さんにも選択肢がありましたね。

誰もが羽生君にはなれないので、いろいろと男は考える、そこで、お姉さんと駆け引きや擬似ロマンが生まれ、「ちょっとダサいけど、この男なら抱かれてもいいかな、乱暴しなさそうだし」と、女の子に思わせれば勝ち、みたいな感じで。

>そんなまどろっこしい手間は省きたいという御仁はそれでいいのですが。

僕は、年を食うにしたがって、まどろっこしくなってきています。

>風呂屋にファランが殆ど行かないのも、その辺が原因ではないかと思います。

ファランのニーズと、我々のニーズが異なっているおかげで、タイが平和なのかもしれません。

彼らと、バチバチとバトルを展開するのは、それこそ、まどろっこしいです。

>1990年代始めのゴーゴーバーではマドンナの1980年代後半のヒット曲 Like a virginとか La isla bonita (album: True blue)なんかがマイケル・ジャクソンなどと共によく掛かってましたね。

マドンナの Like a virgin は、 リュック・ベッソン監督の映画レオンで、ナタリー・ポートマン(マチルダ役)が歌っていたのが印象に残っております。

>ダンサーたちのお気に入りだったようです。

僕は、ゴーゴーバーで、フランク・シナトラの、マイウェイを聴いたことがあります。
シナトラに対する冒涜だと思いました。

オッパイ丸出しダンサーが、どう思ったかはわかりませんが、明らかにゴーゴーバーとはミスマッチな選曲でした。



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Like a Virgin
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True Blue
Madonna
Warner Bros / Wea
2001-05-21


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【2017年11月25日】コメント返信コーナー おじいさんへ

おじいさん、おはようございます!
コメントありがとうございます。

今日も、インラインで返信させていただきます。

>邦さんがテルマエの性悪なお姉さんの誘蛾灯になっていたというのは興味深いですね。

「この男ならタカれる!!」と、思われたのだと思います。

>タイのプレイボーイ風に重そうな24Kの金鎖のネックレスを襟首からチラつかせて、厚手の札入れを腰のポケットから半分ぐらいはみ出させて居たのでしょうか?

これは、まったく逆で、洗いざらしのT-シャツに、安物の短パン、財布は持たず、ポケットに小銭ジャラジャラ、少額のバーツ札をパスポートに挟んで、ポケットのジッパーを閉めておく、という感じでした。

結局、紘さんが主張されていたように、「ここでダメなら・・・・」と、、追い込まれている女ばかりだったので、「こいつは、他の客より気弱そうだから、そこそこフンだくれる!!」と見られたのではないでしょうか。

金遣いの荒さから、パトロンに愛想を尽かされ、捨てられて、車のローンやら、博打のツケなどで、支払いに汲々としていて、これ以上支払いが遅れると、風呂に沈められるか、チャオプラヤーに沈められるか、みたいな女のスカウターに、僕が反応したのではないかと思います。

「この男の手持ちのカネ、全部巻き上げれば、数万バーツぐらいにはなるだろう・・・・これで、一週間後の支払いは何とか・・・」っていう感じかと。

>移転後のテルマエに1990年代終わり頃に一度だけ行ってビールを飲んできました。

当時、テルマエでは、ファンタ・カクテルみたいなものが、瓶入りで売っていたのですが、まだ、日本には無いものだったので、物珍しさで、僕はそれを飲んでいました。

>時間が早かったせいか、お姉さんの集まり具合はまだまだでしたが、話好きのファランと楽しく話をしました。

僕は、女しか見ていませんでした。
すいません。

>あそこはある程度通い詰めて、顔を売っておいて、お姉さんも、よく見定めてから声をかけるといった手順が必要なのかも知れません。

そうですね、おじいさんのおっしゃることが正しいと思います。

>テルマエやサイアムの集まるお姉さんは、ファランはフリーランスと呼んでますが、その通り、店の枠に填められるのを嫌がって自分の意志で動く、気の強いお姉さんが集まるのでしょうね。

さらに、その上をいく(逝く?)人が、タチンボでしょうか。

>そういうお姉さんはプライドが高いことが多く、そこを傷つけると暴れるのかもしれません。

刺された、僕の右手の傷が疼きます・・・

>テルマエのお姉さんと上手くやっている、邦さんのお友達は、その辺に気を使っているのかもしれませんね。

実は、これも逆でして・・・・・
気を使うというよりも、「気に喰わなければ、すぐ追い出せばいい」という人達です。

怒るとコワイ人ばかりです。

>その外、ゴーゴーバーなどで働くために必要なIDカードの無い不法滞在や難民のお姉さんもひょっとしたら居たのではないかと思います。

多分、テルマエはこういう人が多いと思います。

>こうなってくると、ミュージカル「ミス・サイゴン」の世界に近づきますね。

僕の場合、刺されたので・・・・・残念ながら、「ミス・サイゴン」の世界からは、離れてしまうのです。

そういえば、テルマエから連れだした女からは、ソイ3のフードコートでメシをタカられたり、理由は忘れましたが、女から走って逃げたり、他にもまだまだ痛恨の思い出があるような・・・・・




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【2017年11月24日】コメント返信コーナー おじいさんへ

おじいさん、おはようございます!
コメントありがとうございます。

今日は、インラインで返信させていただきます。

>邦さんはテルマエでひどい目にお会いになっているのですね。

これは、相性の問題ではないかと思います。
僕の外道仲間達は、そんなに悪い思いをしていないようです。

あと、遊ぶ回数が増えれば、それに比例して、トラブルも増えるというところかと・・・

「面白さと危なさはお隣さん」ですので、若いウチは、痛い目に遭っても、コリずに、刺されるまで、何度もテルマエに通っていました。

>マイアミ・ホテルのとなりからテルマエが移動してからのことのようですが、それでもかなり悪質なお姉さんがいたのですね。

これは、やっぱり、僕がカモにされていた、ということかもしれません。
僕自身が、悪質なお姉さんの誘蛾灯になっていたのでしょう。
テルマエに関してはですが。

>ゴーゴーバーならPBする事で一種の保険をかけることになるわけですが、コーヒー・ショップでは全て自己リスクですから、事前のリスク感知は重要ですね。

そうですね。PB代が保険料ということになりますね。
あと、JF無しで、かつ、フロントで、お姉さんのIDカードをチェックして、記録してくれるホテルを基地にすると良いと思います。

>サイアム・ホテルのコーヒー・ショップは1990年代に、その近辺の民主記念塔?見物の帰りに一度昼間に立ち寄ったことがあります。

ここは、僕の相性とバッチリでした。
良かったス!!

>洒落たソファーとテーブルに天井にはシャンデリアとゴージャスな雰囲気だったと記憶しています。あの雰囲気に見合うお姉さんならOKでしょうね。

照明もテルメよりはるかに明るく、お姉さんも同じように、テルメよりネアカな人が多かったです。
でも、これも相性みたいで、ダメな人は、ヤッパリ合わないようです。

サイアムで捕まえたお姉さんに、部屋の中でコップをブン投げられただの、携帯で馴染みのガウリーとずっと話しているだの、いろいろ苦情は聞きました。

>Bernard Trink氏の1996/7/27のコラムは、邦さんが見つけたweb.archive.orgのサイトの1996のJulyのセクションの27/7/96のアイテムをクリックすると出てくるはずです。長いコラムの後半部分です。

ありがとうございます!!
早速、お気に入りに入れました。

これも、翻訳して、「外道の細道リターンズ」で紹介したいのですが、この膨大な量・・・
僕の残り半生は、「外道の細道」に捧げることになりそうです。

まあ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これはシアワセなことなのかもしれません。

>移転後のテルマエが日本人のあいだで有名になった背景には、日本経済のバブル崩壊とその煽りによるタニヤ街の斜陽化?が関係があるような気もします???

うーん。これは難しい問題ですね。
バブルが崩壊した頃は、僕はまだチンコに毛が生えて、何年も経っていない頃のことなので、これ以前のタニヤのことはよくわからないのです。

機会があれば、調べてみようと思います。
おじいさんに教わった、Bernard Trinkのコラムにヒントがあるかもしれませんね。

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【2017年11月23日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさんより】
外道邦さん、おはようございます!

うーん、さすが外道紘さん、素晴らしい観察ですね。

と云っても、私は古いテルマエ(Thermae)カフェの裏口から入ろうとして、鼻を突くアンモニア臭気にたじろいで入れませんでした。

裏口の脇に臭いトイレがあったようです。

前に紹介したBernard Trink氏のバンコクポスト紙の1996/7/27付けコラムNite Owlによれば、その月に移転したテルマエ・カフェについて次のように書いています。

「以前のテルマエより二倍広いが天井が低い、以前テルマエにはあった裏口が無くなった。

昔の雰囲気は消えたが、肉体市場のボトムラインあることに変わりは無い。」

外道紘さんのいわれた「バンコクの中のパタヤ」とほぼ同じですね。

古いテルマエはスクンビット通りのソイ13とソイ15の間、マイアミ・ホテルの東隣りにあった風呂屋テルマエ・マッサージのビルの中にありました。

その周辺はデコボコの歩道に屋台が密集して歩き方辛いところでした。

テルマエ・カフェが一寸東側のビルの地下に移転した頃から日本人の利用者が増え始めたようですね。

以前のテルマエ・カフェでは普通の日本人にはとても入り辛かったと思います。続きを読む>>
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【2017年11月13日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさんより】
外道邦さん、こんにちわ!

コメントありがとうございます。

邦さんのコメントで思い出しました。キリマンジャロ・コーヒー豆はタンザニアの特産品でしたね。

キリマンジャロに近いあたりはセレンンゲッティ自然公園などの観光地があり世界中から観光客が集まりますが、その地方の中心であるアリューシャという町にはソマリアからお姉さんが出張って来ているという話を思い出しました。

ソマリアのお姉さんについては、フランスの文豪アンドレ・マルローのカンボジア舞台の小説「王道」の冒頭に印象的な叙述がありますが、黒人らしくない鼻筋の通った美形だそうです。

「クイーン」のフレディー・マーキュリーさんの少し後で有名な写真家のロバート・メイプルソープがAIDSで死んだときはショックでしたね。

当時AIDSは個性的な芸術家の運命の終局の病?でしたね。

最近知ったのですが、芸術家だけではなく、フランスの有名な哲学者ミッシェル・フーコーも同性愛者で1980年代前半にAIDSで亡くなっています。

AIDSは現在は有効な治療法があるようですが、新しい正体不明の病がこれからも生まれるでしょう。用心して長生きしましょう。続きを読む>>
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【2017年11月12日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさんより】
外道邦さん、こんにちわ!

興味深いコメントありがとうございます。

山田詠美の小説が大和撫子をアフリカに向かわせたとは気付きませんでした。

文学の力は凄いですね。新しい日本人の世代を切り拓いたとも言えますね。

実は私も仕事で1980年代後半にダル・エス・サラームに一度だけ行ったことがあるのですが、一流ホテルの筈なのに部屋の水道の蛇口から茶色い水が噴き出して驚きました。

道路は無舗装で所々珊瑚礁が路面に露出して自動車のタイヤを削っている有り様でした。

ダルでは、お姉さんは一発1ドルといわれてましたが、残念ながら友好親善する機会がありませんでした。

当時はアルカイダなどのテロも無く、その名の通り平和(サラーム)なダルでした。

ロック・グループ「クイーン」は私が会社人間になってからのデビューだったので、ほとんど聴いていなかったのですが、Youtubeで覗いてみるとヴィジュアルにも音楽的にも中々良いですね。

妖艶?なリード・ボーカルのフレディー・マーキュリーさんがダルの沖のザンジバル生まれのボンベイ育ちとは知りませんでした。

邦さんはフレディーの足跡を追ってダルからボンベイ(現ムンバイ)に向かわれたわけですね。

1983年頃フィリピンの女性歌手マリーン(Marlene)が日本で録音した「ザンジバル・ナイト」と謂うのがヒットしましたね。

嘗てのアラブの奴隷商人の拠点ザンジバルにも行ってみたいと思ってましたが、機会がありませんでした。モスクや要塞の跡などが有るのでしょうね。続きを読む>>
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【2017年11月9日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさんより】
外道邦さん、こんにちわ!

コメントありがとうございます。

ハラショー・アリス」楽しく読ませて頂きました。ロシアのお姉さんと友好親善を深めるには、ウオッカの連続一気飲み比べが出来ないとダメのようですね。

年寄りがそんな事をするとショック死に繋がりますね。誠に残念です。

1960年代にベトナム戦争がらみの死の商人やらがグレース・ホテルに泊まるというのはどうでしょうね。

やはりドゥシタニ・ホテルとかエラワン・ホテルとかの高級ホテルではないでしょうか。

1960年代は産油国の仕事は原油輸出までで、ガソリンなどの石油製品の精製流通販売は米英のオイル・メジャー傘下に独占されていましたから、アラブの石油商人が米軍に石油製品を直接売り込むのは困難だったのでは?と思います。

在日米軍に燃料供給していた日本の石油精製会社がベトナム特需で儲かっていたのでは?と思います。

アフリカ人のお姉さんは頑丈なカバのような体型で、あんな股に挟まれると骨盤にひび割れができそうですね。

とはいえ、ヒップの盛り上がりでクッションが効いているのかもしれませんが?続きを読む>>
外道風呂

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【2017年11月8日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさんより】
外道邦さん、こんにちわ!

興味深いコメントを頂きありがとうございます。

グレース・ホテルは1966年創業でしたか。

ホテル・インフォメーションの文脈からすると、創業時期と場所(アラブ人街付近)を並記したようにもとれます。

というのは1966年はアメリカが南ベトナムに50万人の兵隊を送り込んで索敵撃滅作戦や枯れ葉作戦の真っ最中で、バンコクは彼らのR&R(Rest and recreation)の休養地でしたから、ホテル・オーナーは米ドルを当てにしてホテルを開業したように思います。

アラブ人が金持ちに成ったのは1973年10月のいわゆるオイル・ショックで石油価格が高騰してからなので、1966年の時点ではアラブ人がバンコクで大盤振る舞いしていたとは思えません。

ロシアのお姉さんはオーチニ・ハラショーでしたが、プーチンが大統領になってからバンコクから徐々に姿を消しましたね。

残っているのは旧ソ連の中央アジア系貧困国のお姉さんばかりでは?

昨年久し振りにナナ交差点を歩きましたが、アフリカ人の黒光りお姉さん軍団に驚きました。続きを読む>>
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【2017年11月7日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさんより】
外道邦さん、こんにちわ!

私のコメントに別スレッドを立てて頂き、ありがとうございます。

邦さんの1980年年代以降のナナプラザの歴史の構想は素晴らしいと思います。恐らく実際の歴史もこれに近かったのではないかと思います。

ただソイ3-1は小さなスペースでアラブ人の観光客を全て吸収するのは難しいと思います。

ソイ3-1の裏に控えているグレース・ホテルは、昔からJF不要の大型安ホテルで、テルマエ・コーヒー・ショップと並ぶ?、コーヒー・ショップもありましたので、ソイ3とソイ3-1を含む広いエリアが徐々にアラブ・アフリカ系エリアになっていったように思います。

またナナプラザの1990年代前半は逆に徐々にアラブ離れが進んだと思います。1990年代前半でもナナプラザの客のメインはファランだったと思います。アラブ人はナナプラザの一部分にかたまって楽しんでいたわけです。

ナナプラザのアラブ人ばなれには、1990年代前半のタイとサウジアラビアの関係の悪化が影響しているのではないかとも思います。

これはサウジアラビア王室の某王子の宮殿の門番に雇われていた若いタイ人が、1989年に、総額1千2百万英ポンド(当時のレートで約20億円相当?)ともいわれる巨額の宝石類を盗み出してタイに密輸入したことに始る複雑怪奇な事件でいまだに事件の全容解明には程遠いものです。

こういった事情で、もはやナナプラザも金満アラブ人に頼れなくなったのがナナプラザのターゲット転換の背景にあったとも考えられます。

上の事件は、英文ウィキペディアにはBlue Diamond Affairというタイトルで概略が掲載されています。
続きを読む>>
外道風呂

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【2017年11月6日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさんより(その1)】
外道邦さん、こんにちわ!

私のコメントに別スレッドを立てて写真で説明して頂き、ありがとうございます。

上から二枚目のナナ・プラザの入口のNANA PLAZA SHOPPING CENTERというゲートを見た瞬間、見たことがあるような感覚に襲われました。ひょうっとしたら1991年頃まであのゲートだったのかもしれません。

1992年3月に私が撮った写真にはNANA ENTERTAINMENT PLAZAという新しいゲートに代わっています。

この写真にアラブのベドウィン衣装のおっさんが写っていますが、スクンビットのソイ3-1は1990年代はじめからアラブ系アフリカ系がうろうろしてました。

ナナプラザには当時、Abu Khalil Lebanise Restaurant(アブ・ハリール・レバノン・レストラン)とCous Cous Restaurant(クス・クス・レストラン、モロッコ料理クスクスのレストラン?)という二つのアラブ人向けレストランがあり。これらはのちに取り壊されて1995年には髑髏のネオンのゴーゴー・バー「ヴードゥーVoodoo」になりました。

また90年代初めのモンシェリー・バーにはよく金満アラブ人の若い連中が来ていました。

モンシェリー・バーは中二階とか小部屋とかがある、バーというよりクラブに近い造りで、アラブの連中はダンサーを両方にはべらしてインスタント・ハーレムを楽しんでいました。

4枚目のナナプラザの祠は花輪一杯で、前に台が置かれて何やら載ってますから、邦さんの想像通りロイカトーン祭りの時期でしょうね。



【おじいさんより(その2)】
外道邦さん、コメントの続きです。字数制限にひっかかったようなので、二つに分けました。

外道写真館資料館も拝見させて頂きました。

1980年代前半のスクンビットとソイ・ナナ(ソイ4)の角の鉄板屋根?のポリボックス写真は強烈ですね。

この写真を視るだけでタイの猛暑を想像してしまいます。

いまもBTSの陰の同じ場所にコンクリート製のポリボックスがありますね。

1983年のスクンビット・ソイ20界隈の写真はソイ23とソイ18の中間辺りにあった陸橋の上からソイ・アソーク方面を撮ったものですね。

現在エクスチェンジ・タワーの在るアソークの角にあった観光客用大型シーフード・レストランのおおきな海老のネオンの骨組みが懐かしいです。続きを読む>>
外道風呂

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【2017年11月5日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさんより】
外道邦さん、お早うございます。

わたしのコメントに別スレッドでお返事頂きありがとうございます。

バンコク・パタヤでもロイカトーン祭りをやっているようで、安堵しました。

お返事に貼り付けていただいたRubyclub Soi6の画像の金ぴかに着飾ったお姉さんの風情がたまりませんね。こんなお姉さんにはチップを弾みたくなります。

ナナ・プラザが昔はショッピング・センターだったというお話は興味深いですね。

それがどんな風に夜の世界に変貌していったのかを辿ってくれるルポ・ライターが現れて欲しいですね。

邦さんが仰るように、ナナ・プラザの中庭に何もなくて、プレイスクール・バーがあった場所にモンシェリー・バーがあって、二階の奥のレインボー4バーがあった辺りに、ダンサーの居ないミュージックバーのウッドストックがあった1990年代が懐かしいですね。

時代を通して残っているのは、ナナプラザに入ってすぐ右側のエスカレーター前の祠だけかも知れません。

ロイカトーンの夜には、あの祠には花輪とお線香が供えられて、盥に灯籠が浮かべられていることでしょう。続きを読む>>
外道風呂

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【2017年11月3日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさん】
外道邦さん、こんにちわ!

私のコメントに別スレッドを立てて頂きありがとうございます。

邦さんが引用された外道紘さんの2010年4月11日の解説と感想の後の、5月16日ごろの有様と事態収束後の状態について、当時私が「外道の細道」から保存した、テキストが見つかりましたのでご参考までに下に貼り付けます。

こうして読んでゆくとあの事件が4月11日の衝突から5月19日の赤シャツ幹部の投降とその後の大混乱が良く解り、外道紘さんならではの語り口にほれぼれします。

テキストは読みやすいように私が改行し、紘さんの感想の後に載せられた現地のニュースや大使館の広報などは省略してあります。続きを読む>>
外道風呂

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【2017年11月2日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさん】
またまた別スレッドありがとうございます。

外道紘さんの桑井川神社初詣報告、興味深く面白く読ませて頂きました。

外道紘さんは、天才的ルポ・ライターですね。夜の世界に限らず、洪水時や赤シャツ暴動事件の際のルポはプロの報道記者も顔負けでしょう。彼の早すぎる昇天が悔やまれます。

邦さんが書かれたデヴィッド・ボウイーの「レッツ・ダンス」以前と以後の区分は私も同感です。

「レッツ・ダンス」以後はメジャーな世界のスーパースターのイメージをポップミュージックの世界から押しつけられてしまった感がありますね。

とはいえ、彼が2002年に発表したアルバム“heathen"は前年の9/11事件の衝撃か?、初期のボウイーに通じる終末論的な陰影が漂う作品で、私の愛聴盤です。
続きを読む>>
外道風呂

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【2017年11月1日】コメント返信コーナー おじいさんへ

【おじいさん】
外道邦さん、こんばんわ!

私のコメントに別スレッドをたてて頂きありがとうございます。

私が書いた本は邦さんがペーストされた表紙の本です。

PATPONG Bangkok's Big Little Street

この本はThai Watana Panich Press Co. Ltd. Bangkokという所で印刷されたと書かれています。恐らくバンコク近辺だけで販売されたのではないでしょうか。

1970年代後半から80年代にかけて、インドシナ半島では、南ベトナムの崩壊とボートピープルの大量発生、ラオスの共産化、カンボジアのポル・ポト派政権のジェノサイドとベトナム軍のカンボジア侵攻という最悪の事態のなかで、当時はタイだけがまともな状態だったので、タイが注目されたのでしょう。

世界的なタイ観光ブームはバンコクのファラン上流社会をエロチックに映像化した1974年のフランス映画「エマニュエル夫人」辺りが始まりではないでしょうか。

「007黄金銃を持つ男」のおかげでプーケットが人気になりましたね。

デヴィッド・ボウイーのタイでの1983年のプロモーションビデオといわれると、彼がグローブとトランクスでボクサー・スタイルのジャケットのアルバム「レッツ・ダンス」を発表してミリオンセラーを記録した時代ですから、ボウイーのタイ・ボクシング風PVを想像してしまいますが、楽しみにしています。
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